卓上調理器の上でぐつぐつと煮える鍋の中身は、水炊きだった。
「どこだかの地鶏らしいよ」
とは成歩堂の弁。顧客からのお礼として贈られてきたものなのだという。
「うム、うまい」
コクのある味と弾力のある歯ごたえは、おそらく相当の上物の証だ。
小皿に盛った柚子胡椒が、市販のチューブ入りのものだというのが多少いただけないが。
「その辺はカンベンしてくれよ」
「まあ、キミに多くは期待しないがね」
鶏肉のほかはネギと白菜しか入っていない貧相な鍋をつつきながら、安酒を嗜む。
ちなみに自宅にある酒はすべて洋酒のため、せめてもの礼にと取って置きのものを出そうとしたが成歩堂に断られた。
「だって、鍋だよ?やっぱ日本酒でしょ。それか焼酎」
「そういうものかね」
「そういうものだよ」
安酒でも、美味い肴をつつきながら気の置けない相手と飲むものであればそれなりに楽しめるということを知ったのも、ここ数年だ。
「御剣」
「何かね」
楽しいとはいえ、やはり安酒は酔うのも早い。少しだけくらりと回る視界を立て直しながら答える。
「食べたら、お風呂ね。もう沸かしてあるから」
「うム。かたじけない」
礼を言いながらも、その後はきっと私がおいしく戴かれるのだろう、と、その類の発言が続くのを覚悟した。
「終わったらマッサージね。仕事納め、おつかれさま」
「う……うム」
意外だ。
この男が唐突にやって来る時というのは、ほぼ例外なく肌を合わせることを望んでいる。
いつもはそれを隠そうともしないのに。
揺れる視界の端に、スタンドタイプのカレンダーが入り込む。
ああ、そうか。
「他には……」
指折り数え何かすることを探している成歩堂の言葉を、片手を上げて遮る。
「いや、いい。ありがとう。成歩堂」
しっかりと視線を合わせてやると、私が気づいたことに気づいたのか、ふいと目を逸らされた。
そのしぐさはまるでいたずらを見つかった子供のようで、少しだけおかしい。
「もう大丈夫だよ、私は。気を遣わせてすまない」
「本当に?」
「ああ、本当だ」
15年間もの長きにわたり私を苛んで来た淀みは、そう簡単に消え去ることはないと思っていた。
しかし、成歩堂があの忌まわしき密室にかかわる何もかもを吹き飛ばしてくれた2年前から、私は自由になった。
その自由をどう扱えばいいのかも、この男が隣に立ってゆっくりと教えてくれた。
今では淀みは欠片もなく、自分の信念を持ち、自分自身の足でしっかりと立っていると自信を持って言うことができる。
「ありがとう、成歩堂。すべて、キミのおかげだ」
「なんか…改まって言われると、テレるね」
そして、照れたようにへらりと微笑むこの男の前にいられることがしあわせなのだとも。
皆様へ、ありがとうをこめて。
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