木枯らしに凍えながら帰宅し、かじかんだ手で玄関のカギを開ける。
 いつもならば私を出迎えるのは真っ暗な寒々しい空間であり、
 またその状態にも慣れきっていたので、カギを開け扉を開くと同時にこぼれた灯りに心底面食らっ
た。
 すわ空巣かと一瞬だけ身構えるが、セキュリティ万全のこのマンションでそれはありえない。
 というか、他に心当たりがあり、おそらくはそれしかありえない。
 その心当たりはリビングの扉を開けた瞬間に、思っていた通りの形で具現化された。
「おかえり、御剣」
「……何をしているのだね、キミは」
「さあ、なんだろうね?」
 薄い笑みを浮かべながら嘯く成歩堂は、その両手に小ぶりの土鍋を抱えていた。
「ちょっとね、いい物が手に入ったから。一緒に一杯やろうよ」
「……」
 勝手すぎる振る舞いに驚き呆れもするが、これもこの男の持ち味なのだと言うことを 私はこの数年
の間にすっかり教え込まされた。
 反論はするだけ無駄なので、ああ、と生返事をすると、コートを置きに寝室へ向かった。


 卓上調理器の上でぐつぐつと煮える鍋の中身は、水炊きだった。
「どこだかの地鶏らしいよ」
 とは成歩堂の弁。顧客からのお礼として贈られてきたものなのだという。
「うム、うまい」
 コクのある味と弾力のある歯ごたえは、おそらく相当の上物の証だ。
 小皿に盛った柚子胡椒が、市販のチューブ入りのものだというのが多少いただけないが。
「その辺はカンベンしてくれよ」
「まあ、キミに多くは期待しないがね」
 鶏肉のほかはネギと白菜しか入っていない貧相な鍋をつつきながら、安酒を嗜む。
 ちなみに自宅にある酒はすべて洋酒のため、せめてもの礼にと取って置きのものを出そうとしたが成歩堂に断られた。
「だって、鍋だよ?やっぱ日本酒でしょ。それか焼酎」
「そういうものかね」
「そういうものだよ」
 安酒でも、美味い肴をつつきながら気の置けない相手と飲むものであればそれなりに楽しめるということを知ったのも、ここ数年だ。

「御剣」
「何かね」
 楽しいとはいえ、やはり安酒は酔うのも早い。少しだけくらりと回る視界を立て直しながら答える。
「食べたら、お風呂ね。もう沸かしてあるから」
「うム。かたじけない」
 礼を言いながらも、その後はきっと私がおいしく戴かれるのだろう、と、その類の発言が続くのを覚悟した。
「終わったらマッサージね。仕事納め、おつかれさま」
「う……うム」
 意外だ。
 この男が唐突にやって来る時というのは、ほぼ例外なく肌を合わせることを望んでいる。
 いつもはそれを隠そうともしないのに。
 揺れる視界の端に、スタンドタイプのカレンダーが入り込む。

 ああ、そうか。

「他には……」
 指折り数え何かすることを探している成歩堂の言葉を、片手を上げて遮る。
「いや、いい。ありがとう。成歩堂」
 しっかりと視線を合わせてやると、私が気づいたことに気づいたのか、ふいと目を逸らされた。
 そのしぐさはまるでいたずらを見つかった子供のようで、少しだけおかしい。
「もう大丈夫だよ、私は。気を遣わせてすまない」
「本当に?」
「ああ、本当だ」

 15年間もの長きにわたり私を苛んで来た淀みは、そう簡単に消え去ることはないと思っていた。
 しかし、成歩堂があの忌まわしき密室にかかわる何もかもを吹き飛ばしてくれた2年前から、私は自由になった。
 その自由をどう扱えばいいのかも、この男が隣に立ってゆっくりと教えてくれた。
 今では淀みは欠片もなく、自分の信念を持ち、自分自身の足でしっかりと立っていると自信を持って言うことができる。

「ありがとう、成歩堂。すべて、キミのおかげだ」
「なんか…改まって言われると、テレるね」

 そして、照れたようにへらりと微笑むこの男の前にいられることがしあわせなのだとも。









皆様へ、ありがとうをこめて。

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