拍手お礼SS(記念日編・4月)

 

1:

「なるほどくん、ちょっといいですか?」
「ん?なに、春美ちゃん」

「あの…その、わたくし、スキなひとができたのです。それで、ご相談をと…」
「へえ。でもそういうことだったら、真宵ちゃんのほうが女の子同士、話しやすいんじゃない?」
「いいえ、殿方のことは殿方に聞くのが一番ですから」
「ってもなぁ、ぼく、もうコドモの考え方とかってわかんないし…」

「…わたくし、オトナの殿方の意見を聞きたいのです!」

「…はー…なるほどなぁ。てことは、春美ちゃんの好きな人はオトナなんだ?」
「はい、そうなのです…オトナの殿方を好きになってしまいました…これって、イケないことでしょうか?」
「全然、いけなくないよ。春美ちゃんみたいに素直でかわいい子にスキだって言われたら、誰だって嬉しいと思う」
「そ、そうでしょうか!?」
「保障するよ。もし相手がぼくだとしたら、ほんとうに嬉しいしね」


「……ぎけんじさんも、うれしいと思ってくださいますでしょうか…」


「……!」
「…なるほどくん…?あの…どうしたのですか?」
「は、春美ちゃん!?今、なんて…?」
「き、聞こえてしまいましたか…!はずかしいです!」
「あー…(あああんなこと言うんじゃなかった…っ!)」
「なるほどくん…おカオがミドリ色ですよ…?なにをそんなにうろたえていらっしゃるのですか?」
「…え!?いや、あー、その…うあああああ…」

 

「…うあっはははははははッ!!!」
 ずっと隠れていた真宵さまが、戸棚をばんと空けて大笑いしながら転がり出てきました。
「あはははっ、はははは!はみちゃんサイコーっ!すっごいっ!!」
「…え、えええ!?」
 状況が飲み込めていない様子のなるほどくんが、わたくしと真宵さまを交互にながめています。
「…なるほどくん。今日はなんにちですか?」
「ええと、4月、ついた…あああああああああああ!!」
 ようやく気づいた様子のなるほどくんは、笑い転げている真宵さまにつかつかと歩み寄ってその首根っこをむんずと掴みました。
「真宵ちゃんだろッ、こんなこと春美ちゃんに仕込んだの!」
「…確かにあたしだけどー。でも、ベツにフツーだったら驚くコトじゃないでしょ?」
「ぐ…ッ!」
「あははは、はみちゃーん、お疲れさまっ!」

 言葉をなくしてしまったなるほどくんを笑いながら、真宵さまがわたくしを
 ぎゅっと抱っこしてくださいました。

 でも、どうしてこんなことでなるほどくんがこんなに驚くのか、
 それだけは真宵さまも教えてはくれませんでした。


 …あと、わたくしは、ウソをついたつもりはないのです。
                               ・ ・ ・ ・   
 わたくしがほんとうにスキな人の名前は、かみのぎけんじさん、ですから。

《4月1日 エイプリルフール》


 

2:

 ある日、うっとうしいほど上機嫌な矢張が事務所に飛び込んできた。

「オイ聞いてくれよ!オレ、ついに出会っちまったぜ!」
「その台詞、一体何回目だよ」
「イイから!今度はホントだぜ!運命なんだ、オレと彼女はッ!」
「…だから、それも何回も…」
「なるほどくん…ヤッパリさん、聞いてないよ」
「…みたい、だな」

 すこぶる上機嫌のままべらべらとまくし立てる矢張を前に、
 ぼくと真宵ちゃんはそろって嘆息した。

 曰く、いかにその子がすばらしくキレイでかわいいだとか。
 出会い方がドラマチックだったとか。料理がうまいとか、その他もろもろ。
 とにかくありとあらゆる言葉とたとえでその女の子をホメ倒してる。
 まあ、イヤになるほどお決まりのパターンだ。

 お茶をすすりながら、矢張の話を右から左と流していると耳慣れない着信音が鳴り響いた。
 あわあわとポケットから携帯を引っ張り出して耳にあてがったのは、ヤッパリ矢張。
「ッ、もうそんな時間かよ!?もしもしー!シズカー?」

「…シズカさん、って言うんだ」
「なんていうか、源氏名っぽい気が…」
「そういう偏見よくないよ、なるほどくん」
 真宵ちゃんにたしなめられて、ぼくは首をすくめた。

「ってワケで成歩堂、またな!」
 今日はキメるぜ、と、下品なフィンガーサインまでかまして
(ここに春美ちゃんがいなくてよかった、本当に)
 矢張は来た時と同様に飛び出していった。

「…何しにきたんだろうね」
「ヒマつぶしだろ、どうせ」

 仕事中なのになあ、とぼやいて、ぼくはファイルへ視線を落とした。

 

 そして、翌日。
 うっとうしいほど落ち込んだ矢張が、のっそりと事務所に現れた。

「聞いてくれよォ…成歩堂よォ…」

「…フラれたみたい、だね」
「しッ」
 ぼくは真宵ちゃんを制すると、今にも泣き出しそうな矢張に先を促した。

「…シズカの奴よォ…アイツ…アイツ…女じゃなかったんだよォォォ!オカマだったんだ!!」
「ぶッ!?」
「ええええええ!!?」

 思わず、言葉を失う。
 いつものパターンだからうまくいかないだろうってのは読みどおり。
 …だけど、こんな展開はまったくもって予想してなかった。

「あんなにキレイだったのに…なァ、この気持ちわかってくれよォ…ふたりとも…!」
 涙ながらに崩れ落ちた矢張を、真宵ちゃんが笑いをこらえながら慰めてる。

 そしてぼくは、
"別にオカマでも男でもスキならぜんぜんかまわないけど(だって御剣がいるし)"

 …というひとことを、危ういところでごくんと飲み込んだ。

《4月4日 オカマの日》

 


3:

「ミサイル!元気っスかー?」
「わふん!わふふふっ」

 尻尾をちぎれそうに振りながら飛びついてくるあったかいカタマリを、
 アタシはめいっぱい撫でてやった。
 鼻を近づけると、あったかいひなたの匂いがする。
 くりくりとした目がほんとうにかわいらしい。
 このコに会うと、どんどん元気がわいてくる。

 ふと、はじめてミサイルに出会った時のことを思い出した。
 あれは訓練中にドジ踏んで訓練生みんなに大迷惑をかけて、憧れてた先輩にも怒られて
 講習が終わっても悔しくてたまらなくて、もう警察官には向いてないんじゃないかと思って
 やめてしまいたいと思いながらトイレでこっそり泣いてた日のことだった。

 鼻をかんで申し訳程度にしていた化粧を直して、トイレの扉を開けた瞬間に
 とても気まずそうな顔の先輩がアタシの前に立ちはだかっていた。

 

 先輩がアタシを連れて向かった先は、警察犬の訓練所だった。
 何匹かの犬たちがグランドを飛び周っていて、アタシはわあと歓声を上げる。
「かわいい…!」
 うわーうわーとさっきまで落ち込んでたのを忘れてはしゃぐアタシを、先輩はほんとうに満足そうに見守ってくれる。
 そして足元に擦り寄ってきてはしゃぎまわっている一匹の仔犬を抱え上げて、アタシに渡してきた。
「…先輩?」
「抱っこしてみるっスか?」
「え…あ、ハイ!」

 そおっと腕の中に迎え入れたちいさな命は、真っ黒な目をウルウルさせてこっちを見上げてきた。
 小動物の瞳を見ると胸がきゅんとするのは、もう本能だと思う。
「…名前、なんていうんスか?」
「ミサイル、って言うっス。ジブンが拾ってきたときにつけた名前っス」
「先輩が拾ったっスか?」
「そっス…コイツ、ほんとうは警察犬になれる犬じゃないんス」
「え」

 アタシはびっくりして、先輩を見上げた。
「…警察犬って、犬種が決まってるっス。コイツは血統書なんてないっスから、本当なら飼い主が見つからなくて保健所行きだったっス」
「そんな…」
「でも、仕方ないんスよ。ジブンのアパートじゃ、イヌは飼えないっスから」
 さびしそうに微笑む先輩の顔が、そのことが悔しくてたまらないのだと教える。

「でも、署で色々遊んでやってるうちに、コイツの物覚えのよさに気づいたんス。だから、無理を承知でここで訓練してもらえるように頼んだっスよ」
「すごいっスね、先輩」
「まあ、芽が出るかどうかはまた別って言われてるっスけど…ジブンはきっとうまくいくって、信じてるっス」
 ミサイルを大きな手で撫でながら、アタシに微笑みかけてくる。

「だから、ええと…何が言いたいかというと、っスね…」

 先輩が、ものすごくまごついて言葉を探してるのがわかる。
 でも、言葉なんか要らなかった。ちゃんとわかった。
 先輩が、アタシを心から心配して元気付けてくれようとしていることが。

「…もういいっスよ、先輩。スズキ、明日からも頑張るっス」

 たくさんのありがとうをこめて、アタシは先輩に敬礼した。

 

 そして、あれから数ヶ月が経った。
 ミサイルは正式に警察犬への道を歩み始め、
 アタシもきちんとひとり立ちして、婦人警官としての生活にもなじんできた。

 今のアタシがあるのは、先輩とミサイルのおかげ。
 大切な恩人(恩犬?)を、アタシはぎゅむっと抱きしめた。

《4月8日 忠犬ハチ公の日》

 


4:

 一日の疲れを、ゆったりと湯船に漬かって洗い流す。
 これは日本人として欠かしちゃいけない習慣だと思う。
 とはいえウチの風呂はそう広くないから、足は伸ばせない。
 ゆったり入りたければ銭湯に足を運ぶか、あるいは。

「…きみの言い分はとても良く分かった」
「でしょ?御剣んちの風呂、ホントいいよな、広くて」
「…だが、こうしていては本末転倒のような気がするのだが…」

 目の前の御剣は困惑したように、湯の中でひざを抱えていた。
 ぼくも少しだけひざを曲げた姿勢で、湯船のふちにゆったりともたれかかる。
 エメラルドグリーンのお湯が、ちゃぱりと波を立てた。

「だって、せっかくだったら一緒に入りたいじゃない?」
「どういう"せっかく"だ。きみは広い風呂に入りたいのではなかったのか」
「入ってるよ、今」
「こうして入っていては、広い風呂も存分に堪能できまい」
「じゃ、体勢変えよっか。ぼくの背中にもたれてくれたらふたりとも足伸ばせるよ」
「…遠慮しておく」
 ぼくが何を考えてるのか察したのだろう、御剣は顔を寄せたぼくからぐいと身をそらして逃げる。
「逃げなくたっていいじゃん、御剣」
「風呂はそのようなことをする場所ではない!」
 御剣が、ばしゃッと湯をかけてきた。ぼくも手を水鉄砲みたいにして応戦する。
「なッ、まだ何にも言ってないよ!」
「きみの言い出しそうなことなどお見通しだ!」

 喧々諤々の言い争いと、飛び散る水しぶき。
 身体を起こしてばしゃばしゃと湯を掛け合っているうちに、世界がくるっと反転した。

「あッ!」

 ヤバイ、と思ったときにはもう遅かった。
 ぼくはなんとか体勢を立て直そうとして、御剣の肩を掴んだけれど
 結果的に巻き添えにして、ふたり仲良くお湯の中。

「ッ、ごほ、ごほ…ッ!御剣、だいじょうぶ?」
「げほっ…大丈夫、と言いたいが…少し、頭を打った」

「え!?ごめん!ちょっと見せて」
 ひざを前に進めおそるおそる髪をかきわけて、御剣が打ったというところに顔を近づけた。
「うわ、コブになってる…ごめんね、御剣」
 カラダを寄せ、きゅっと目の前の御剣を抱きしめた。


「…な、成歩堂…」
「ん?」
 御剣が何か言いたそうなカオで、ぼくを見上げてくる。
「その、この体勢は…」

 言われてふと、自分たちの姿を省みた。
 ぼくは前のめりに御剣に覆いかぶさり、
 御剣は腰をぼくのほうへ突き出して喉元まで湯に漬かってる。
 カラダはそばに寄ったときに密着して、お互いきわどいところが当たってる。
 そしてさらに問題なのが、ぼくが御剣のカラダを太股ごと抱きしめてることだった。

 それは、まるで…

「…せっかくだから、このままシちゃう?駅弁」
「ふ…ふざけるなーッ!」

 本気で怒った御剣が、手加減なしでぼくを張り倒すと風呂から飛び出してった。

 …しまった、これは今晩相当拝み倒さないとサセてもらえないぞ。
 じんじんと痛む横っ面をそっと撫でて、ぼくは大きくため息をついた。

《4月10日 駅弁の日》

 


5:

 広い知識を持つことは、弁護士に限らず社会人として必要なことだと思う。
 だから私は、ありとあらゆる書物を図書館から借りてきては
 昼休みや通勤の電車の中で次から次へと読み漁るようにしている。

「毎日毎日よくもまあ飽きもせず…コネコちゃんは勉強家だな」
「まあ、知っていて損になることはないと思いますし、世の中は」
「知らなくたって生きていけることだって、いっぱいあるさ」
 がたんとゆれる電車の中、ドアに寄りかかって新書を繰る私の横で
 センパイが吊り革に両手をかけて大人気なくゆらゆらと身体を揺らしている。
「…ほう。でも、今日のは興味深いぜ」
「そうですか」
「コネコちゃんには似合わねえ物騒なタイトルだがな」
 今日から読みはじめたのは、中世ヨーロッパのキリスト教世界における法精神、の本。
 センパイの言葉どおり、決して穏やかではないタイトルが妙に目を引いてしまって
 気づいたら手にとってしまっていたものだった。

「中世ヨーロッパでは、フツウの裁判で決着のつかない問題を決闘で解決したんだそうです」
「…そりゃまた本気で物騒だな」
 ぱらりとさわりを読んで得た知識をそのまま口に出す。
 センパイは驚いたように眉を上げると、私の手元を覗き込んだ。

 裁判っていうのは、無駄な血を流さずに問題を解決するためのものではなかったのだろうか。
 少なくとも今までそう信じてきた私には、かなりのカルチャーショックだった。

「…法って、結構無力なんでしょうか」
「まあ、万能じゃあねえな」
 首をこきこきと捻りながら、センパイはそうあっさりと言ってのけた。
「そんな…」
「だってなぁ、今だって身に沁みて知ってるだろう?コネコちゃんは」
「……!」
 そう言われて、はっと息を飲む。

 私がずっと追っている男のことを、センパイに話したことはなかった。

 いくら法が厳正なものでも、裁くのは所詮人だ。
 その"人"が懐柔されてしまっては、法はまったく意味を成さない。
 ならば、何をもって裁けばよいのだろうか。
 母を失脚させ私たち家族をばらばらにしたあの男を、どう裁けばいいのか。

 このことを考えると、決まって胸の中にきたならしい感情が澱のように沈んでいく。

 決闘裁判を起こそうとした人たちの気持ちが、分からないでもなかった。

「…ちゃん、コネコちゃん。ドアが開いちまうぜ」
 肩を揺り動かされて、はっと我に返る。

 しゅんと音を立てて背後のドアが開く。
 同時に、我先にと人々が殺到して私たちはあっという間に人波に飲み込まれた。

「…怖い顔はもうナシだぜ、チヒロ」

 雑踏の中、抱かれた肩と耳元で囁くやさしい声。

「俺がいる」

 そして同時にこめかみに押し付けられた唇が、私の中の澱をすうっと溶かしていった。

《4月13日 決闘の日》

 

6:

 アメリカは自由の国だ。
 ウワサじゃ、13歳でデビューした検事だっているらしい。
 少年よ大志を抱け。ムカシの偉い先生はそう言った。
 あたしだって、大きな夢をカタチにしてみたいのだ。

 …でも。

「…現実ってこんなものなのかなぁ…」
 大きな大きな溜息をついて、あたしはへたり込んだ。

 アパートメントのベッドの上で、ぼんやりと天井を見上げる。
 喜び勇んでアメリカに飛んできた頃のあたしの勢いは、
 いまやジェット機から手漕ぎボートくらいにまで落っこちていた。
 このままじゃ、そのうちシャクトリムシくらいになっちゃうかもしれない。

「もっとがんばんなきゃ…」
 起き上がると机に向かい、テキストを開く。当たり前だけど英語だ。
 こっちに来た頃に比べればずいぶん分かるようになったけれど、
 それでも問題を理解するのにはまだまだ時間がかかる。

 もっと英語の勉強をしておけばよかった。
 セキュリティさえ読めなかったあの頃のあたしに
 もっとしっかりしろって言ってあげたいけれど、もう遅い。
 エンピツを鼻の下に挟んだまま、うーんと唸る。
 こんな状態で、あたしは立派なカガク捜査官になれるんだろうか。

 テキストを投げ出して、机の上の古ぼけた本を開いた。
 その最後のページにはさまれた写真を手にとって眺める。

 まだ小さいあたしと、警察官の制服を着たお姉ちゃんが笑顔で敬礼してる。

「…お姉ちゃん…」

 それこそ全てをかけて、お姉ちゃんはあたしを守ってくれた。
 あの頃のことを思うと、いつも胸が締め付けられる。
 お姉ちゃんの気持ちに、あたしは応えることができるんだろうか。
 胸を張ってあの国に戻ることができるんだろうか。

「…しっかりしろ、茜!」

 ぴしゃんと両手で頬を打った。
 ちりちりとした痛みが頬を焼く。でもそんなことはたいしたことじゃない。

 落ち込んでいられない。
 弱気になんかなってられない。
 出来るかどうか、じゃなくて、しなくちゃいけないんだ。
 それが、あたしが自分で選んだ人生なんだから。

 大丈夫。絶対、夢は叶う。

 そう心の中で呟いて、あたしは写真の裏に書かれた
 "Girl's be ambitious"の文字をそっとなぞった。

《4月16日 ボーイズビーアンビシャスデー》

 

7:

 大学から帰って自転車を止めて、いつもと同じように郵便受けの扉を開けた。
 かなり古ぼけたソイツは、気合を入れて引っ張らないと開かない。
 はじめはかなり苦労したけれど、さすがにもう慣れたもので
 ちょっと上に引っ張るようにしてつまみを引っ張る。
 ピザ屋のチラシにアダルト広告、電気代の引き落とし通知…
 いつもと変わらない中身をわしづかみにして、ぼくは部屋へ戻った。

 月初め、朝夕は冷え込む日が多かったおかげでまだ時々ストーブのお世話になってた。
 そのせいか電気代が高いなぁ、と妙に所帯じみたことを考えながら
 いらないチラシをまとめてゴミ箱へ捨てようとして、
 ぼくはチラシではありえない固い手触りに気づいた。

 チラシに包まれるようにして入っていたモノは、思った通り封筒だった。
 ぼくは慌ててそれを手に取ると、目を閉じて深呼吸をした。

 もしかして。
 もしかするかもしれない。

 ゆっくりと目を開ける。
 手の中の封筒を見た瞬間、ぼくは絶句した。

 見覚えのある封筒。馴染み深いクセ字は、見間違いようもなくぼく自身のもの。
 暗記してしまうほどに何度も何度も書いてきた住所と
 何度も心の中で呼びかけた名前の横には、
 「あて所にたずねあたりません」という角印がしっかりと押されていた。

「…嘘だろ…」
 ぽつりと呟いて、膝から崩れ落ちる。

 いつか、こんな日が来ることを予感していなかったわけじゃない。

 読んでくれていないかもしれないなんて、そんなことは分かっていた。
 手紙を出し続けたのは、ぼくの自己満足なのかもしれないっていうことも。


 もう、手紙は届かない。
 何度手紙を出したって、二度と御剣には届かない。
 ぼくと御剣の間には、もう絹糸一本ほどのつながりもありはしないんだと思うと
 胸にぽっかりと穴が開いたようで、たとえようもなく苦しい。


 ぼくは、食事も睡眠も忘れて一晩中その場に座り込んでいた。

《4月20日 逓信記念日》

 


8:

「すまないが、少々寄り道に付き合ってはもらえないだろうか」
 裁判所からの帰り、御剣の車に便乗させてもらっていたぼくは、
 あまり深く考えることなくこくりと頷いた。
「どこ寄るの?」
「花屋だ」
「へえ、珍しいね」
 誰かに贈るんだろうか。そうだとしたら、なんか妬けるなあ。
 御剣は無言で車をすいと駐車スペースへ滑り込ませると、ぼくにも降りるように促した。

 こぢんまりとした花屋さんは、笑顔の眩しいおかみさんがひとりで切り盛りしていた。
 相変わらず花の名前は分からないけれど、とにかく春らしいいい匂いがする。
「バラを1輪いただこうか」
「…え、1輪?花束じゃなくて?」
 手際よくリボンをかけていくおかみさんの手元を見ながら、ぼくは首をかしげる。
「ああ、1輪だ。きみもどうだ、真宵くんや春美くんに」
「へ!?」
 わけがわからない。
 いや、確かに真宵ちゃんも春美ちゃんも女の子だし、
 花貰ったら嬉しいだろうなって思うけど…いや、真宵ちゃんは花より団子かな。
 なにより真宵ちゃんにそんなことしたら、春美ちゃんの誤解がますます深まる気がする…

 ぐるぐる考えてると、御剣がくっと笑った。
「…笑うなよ」
「いや、その様子だと知らないのだな」
 御剣が指差したレジの横へ視線を移す。
 そこには、1枚のチラシが貼られていた。
「…え、と」
 やっぱりピンと来ないぼくが二の句を告げずにいると、御剣が説明してくれた。
「男性は女性へ花を、女性は男性へ本を贈りあう日だ。
 発祥はスペインのカタルーニャ地方で、家族や友人の間でもプレゼントが交わされる」
「へえ」
 知らなかった。ていうか、そんなにメジャーな習慣じゃないよなこれ。
「日本でも一般化しようという試みはあったらしいが、失敗したようだ」
「…じゃ、それは狩魔冥に?」
「ああ、そうだ」

 キレイに包装紙を巻かれたバラを受け取った御剣は、
 やさしい目をして笑っていた。
「…そんな顔されたら妬くに妬けないよ」
「まあ、そうだな。私にとってメイは、きみにおける真宵くんのようなものだ」
 きみが妬く必要はない、そういうと、御剣はゆっくりと歩き出した。

 ぼくにとっての真宵ちゃん。
 大事な師匠の妹で、家族同然の女の子。
 それは恋でも愛でもないけれど、ぼくにとって大切な人。

「…そうだね」
「ああ、そうだ」
 車がまたすべるように動き出す。
 ステアリングを握る御剣のどこか嬉しそうな横顔を、ぼくはずっと眺めていた。

 ぼくだけを見て欲しい、なんてことも思わなくもないけれど、
 自分の周りの人を大切に出来るほうがきっとずっと素敵なことだ。

 だからぼくは、そんな御剣を誇らしく思ってる。

《4月23日 サン・ジョルディの日》

 


9:

「きゃっ!」
「ッ!」
 手もかけていないのに突然開いた目の前のドアに驚いた次の瞬間、
 どすんという派手な音とともに視界が反転した。

「あ…イタタ…」
「悪い!大丈夫か」
 差し出された手に顔を上げると、そこには心配そうに眉を寄せたセンパイがいた。
「だいじょうぶ、です…」
「スゲェ音したぞ、本当に大丈夫か?どこか捻ったりしてないか?」
 その言葉に足や手をくるくると回してみるけれど、特に問題はなさそうだ。
 首を横に振ると、安堵したようにセンパイは大きく息をついた。
「良かった…すまなかったな、本当」
「私こそ、ごめんなさい…ぼんやりしてて」
「いや、コネコちゃんは悪くねえ。俺が急いでたのが悪いのさ」
 話しながら、センパイは慌てて散乱したファイルをかき集める。
 よほど急いでいるんだろう。
 私も、いくつか自分の近くの資料を拾ってセンパイへと手渡した。
「センパイらしくないですね、こんなに急いで」
「いや、唐突に呼び出されちまったのさ」
 爺さんなんかのおつかいじゃなくて、どうせなら誰かさんのために動きたいぜ。
 そんな軽口を叩く余裕のセンパイの背中を、私はもう、と軽く叩いた。
「行ってらっしゃい、センパイ。気をつけて」
「ああ、行ってくる。5時には帰るぜ」

 バタバタと慌しく出て行ったセンパイの後姿をドアが閉まるまで見送って、
 私はようやく立ち上がった。

 …と、スカートの裾からころりと何かが転げ出る。
 拾い上げると、それはパスケースだった。
「…これ」
 センパイのだ。
 見覚えのある黒い革のケースを、私は手の中で持て余す。
 どうしよう、今から走って追いかけて届けたほうがいいんだろうか。
 ホワイトボードを見る。星影先生の行き先と、センパイの家は逆方向。
 なら、これは必要ないかな。
 帰ってきたら渡してあげようと思いながら、何の気なしに指先でケースをもてあそぶ。
 二つ折りになったそれは、意思に反してぱたんと開いた。

「え」

 そこには通勤定期と、一枚の写真が入っていた。

 写真の中には緊張した面持ちで口を一文字に結んだ私と、
 私の肩を抱いて満面の笑みを浮かべているセンパイがいた。
「なんで、こんな写真…」
 嬉しいけれど、なんだか意外。
 おそらく歓迎会のときに撮られたであろうそれを、私は懐かしい気持ちで眺めた。

 この写真の頃は、なんて強引でヘンなひとなんだろう、って思ってた。
 事務所ナンバーワンって聞いても、俄かには信じられなかった。

 いったい、いつからこんな気持ちになったんだろう?
 自覚したのは、あの初めての法廷。
 でも本当は、いつから私はあの人を好きだったんだろうか。

 …そしてセンパイは、いつから私を好きだったんだろうか。
 それは、私たちの関係が変わったその日からずっと気になっていた疑問だった。
 どれだけ聞いても、いつもはぐらかされてきた疑問。

 その答えがこの写真にある気がして、胸がくすぐったくなった。
 パスケースをそっとスーツのポケットに忍ばせると、自然に笑みがこぼれる。

 見なかった振りで黙っておこうか。
 それとも、これを機会に聞いてみようか。

 時計を見る。告げられた帰社時間まで、あと1時間以上。
 まだまだ、考える余地はありそうだった。

《4月25日 拾得物の日》

 


10:

「なるほどくん、明日の休みってヒマ?」
「いや…明日は1日寝貯めするつもりなんだけど」
「うわ、若さがないッ!」

 だらだらと背もたれにもたれて椅子をぐるぐる回しているわれらが所長に、
 あたしは思いっきりびしりと指を突きつけた。
「いい、なるほどくん!寝貯めは全然効果ないんだよ!?フツーの日と
 睡眠時間がずれてるヒトほど不眠になったりして逆効果なんだって、前テレビで見たよ!」
「テレビのそういう情報はあんまり信用しないことにしてるんだよなぁ、大体誇張されてるし」
「…そういうこと言わない」
 なんていうか、既にあたしが何を言い出すか分かってて先回り先回りして
 なんとか回避しようとしてるのが見え見えだ。

「だから出かけようよ、はみちゃんと3人で動物園行こうよー」
「だから寝貯めするんだってば」
「そんなんでいいの、まだ20代でしょ!」
「四捨五入したら30だよ」

 …だめだ、ラチがあかない。

「はみちゃん、楽しみにしてたんだよ」
「ふたりで行ってこればいいじゃないか」
「…こないだはあたしとふたりだったから、今度はなるほどくんも一緒がいいって」
 肩を落として唇を尖らせるあたしを横目で見て、なるほどくんが肩をすくめた。
 でも、これは本当だ。
 はみちゃんと二人でバスに乗って動物園へ行ってパンダ見て、
 それはそれで本当に楽しかった。
 …でも。
「はみちゃん、あたしとなるほどくんが一緒にいないと変に気を回すんだよね」
 この間だって、「さみしくはないのですか」と何度も聞かれて、
 はみちゃんが楽しむために来たんだから、そんなに気を遣わなくてもいいのにって
 ちょっと申し訳ない気持ちになったりもしたもんだ。
(あたしが無理やり付いてったコトはこの際横においておくとして)
「はみちゃんが心から楽しめるようにしてあげたいんだ、あたし…」

「…そっか」
 お。
 イスがようやくこっちを向いて、立ち上がったなるほどくんがあたしの頭をぽんと叩いた。

「缶ジュースくらいしか奢らないよ」
「…別にたかろうとしたわけじゃないもん」
 ホントはちょっとしてたけど。

「いいの?寝貯めするんでしょ」
「いいのいいの、どうせフテ寝だったんだから」
 そういうと、なるほどくんはちょっとさびしそうに笑う。
 …理由は聞かないほうがいいな、多分。

「動物園だっけ」
「そうそう。あのね、明日はなんと!象に乗れるんだよ!」
「…なんかカタそうだな…」
「えー、そうかなあ。あたしすっごい楽しみなんだけど」
「…ぼくは乗らないぞ」
「はいはい」

 明日はきっと、はみちゃんも大喜びして素直に楽しんでくれるはず。
「ありがとね、なるほどくん」
 あたしはなるほどくんにばちんとウインクをした。

 …実は、これはまだまだはじめの一歩だったりする。

 ゴールデンウィーク丸々なるほどくんを引っ張りまわすために、
 あたしは他にもたくさん作戦を練らなきゃいけなかったりするんだよね。
 これがまた。

《4月28日 象の日》

 

(1~5…2007.4.1~4.17)
(6~10…
2007.4.18~4.30)

たまに、前に書いた話の続きっぽくなったりします。
今回だと、3月の「パンダ発見の日」→動物園つながりで「象の日」ですね。

「決闘の日」で千尋さんが読んでいるのは「決闘裁判−ヨーロッパ法精神の原風景」(山内進・講談社)という本。
ネタ探しをしていて発見したので、実は未読です(笑


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