拍手お礼SS(記念日編・3月)

 

1:

 お互い用事のない夜には、真宵ちゃんと二人でラーメンを食べに行く。
 彼女の行きつけの店、ぼくの行きつけの店。通りすがりに見かけて気になっていた店。
 ぼくらの移動手段なんて自転車と徒歩しかないから、行動範囲は自然と限られてくる。
 まあ、電車もあるといえばあるんだけれど、お互い帰宅前に遠出はしたくないという、
 なんというか暗黙の了解みたいなものがある。
 というか、そんなのはまるでデートだ。ありえない。

 でも今日は例外中の例外で、出先でお互い直帰しようという話になった。
 そうなると、ぼくらが探すのはもちろんラーメン屋。

「ちょっとデートみたいだよね、なるほどくんが相手だってのがぱっとしないけど」
「ああ、そう?とりあえず落ち着きなよ」
 言いだしっぺの真宵ちゃんに連れられて、
 ぼくは夜の地下街を手を引かれて歩いた。というより走った。
 前言撤回してみないか真宵ちゃん、これはデートなんかじゃない。
 娘に連れまわされるおとーさんだ。

 そして特急ハラペコ列車がようやく止まったのは、地下のはじっこのラーメン横丁。
 ぼくは、とんこつスープの香りかぐわしい目の前の店に向かってふらふらと歩いた。
 …と。瞬間、後ろからヘンな衝撃が襲う。今首がグキっていったぞ!
「ぐ、いッて!」
「だめっ、そこはだめー!」
「なんでだよ…ていうかそんなに大きな声で言ったら店の人、気を悪くするぞ」
「だってあたし、あっちがいいもん」
 そういってぼくのトガリをつかんだままの真宵ちゃんが指差したのは、
 通路向かいの札幌ラーメン屋さんだった。

 ぼくらは通路の真ん中で、火花を散らし睨み合う。

「…こないだ、真宵ちゃんに譲ったよね」
「…でもあの店イマイチだったもん。あたし口直ししたい」
「口直ししたいって、アレもう3日も前じゃないか」
「それでも口直ししたいの!」
「とんこつが口直しにならないみたいな言い方やめてもらえないかな」
「だって札幌みそだよ?本場だよ?」
「それは理由にならないよ」
 まったくもって埒が明かない。ぼくが譲る気がないからだ。
「だいたいとんこつってダシ、豚じゃん。それがやなんだよね」
「そんなの完全に好みだろ…」

 …ん?
 あ、突破口見つけた。

「真宵ちゃん、豚やだって言ったね」
「言った。なに?譲ってくれるの?」
「チャーシューくれたら譲ってもいいよ」
「なんでよ!」
 にやっと笑ったぼくに、真宵ちゃんがぷりぷりと怒る。
 まるで、頭のてっぺんから湯気でも出てそうな勢い。
「だってチャーシューって、豚だし。いらないんでしょ?」
「…そんなのへりくつだよ…」

 ぶつぶつこぼす真宵ちゃんが、じゃあ間とってあそこにしようよと
 一番奥の店に張り出されたみそとんこつのポスターを指差した。

《3月1日 豚の日》

 

 

2:

 甘い蜜と、綺麗な棘。
 すぐに思い浮かぶのは、バラの花。
 そして、ミツバチ。

 先週、父に連れられて海外旅行をした。
 制服の下で、水着の跡がしましまになって残っている。
 今日は雨。誰もいない部屋でひとり、窓の外を見上げた。

 もうすぐ、未散がやってくる。
 この背中を見せる時間がやってくる。

 ミツバチみたいなこのしましまの背中を、貴方はなんと呼ぶだろう。
 それとも気づかずに、いつものように性急に事に及ぶのだろうか。
 いつもながら想像する度、組み敷かれる度、吐き気がする。
 それでもこれが従属させるために必要なことだというならば、体を差し出すくらいはなんということはない。
 黙って感じた振りをして、1時間ほどやり過ごせばいいだけの話だ。

 自慢のばら色の唇が、人知れず歪む。

 ばらは好き。
 綺麗で香しい薫りを纏いなおかつ棘もあるなんて、本当に最高。

 ミツバチは嫌い。
 甘い蜜を作り針を持つけれど、誰かを刺したら自分も死んでしまう、そんな弱いミツバチは嫌い。

 私は死なない。私はミツバチにはならない。

 ばらのように美しさで周りを魅了し、そして時折傷つけて。
 そういうふうに、私は生きたい。

《3月8日 ミツバチの日》

 

 

3:

「わたくし、今からぱんだを見に行ってまいります」
 年度末の書類に埋もれてるなるほどくんとあたしを交互に見つめると、
 はみちゃんはそう宣言した。首からカメラまでぶら下げて、すっかり本気モードだ。
「え、ひとりで行くの?」
「…というか、なんでまたパンダ?」
「前にテレビで見て、ぜひ一度あのかわいらしさを間近で見てみたいと思っていたのです」
「あ、じゃああたし連れて…」
「イヤイヤ、で、なんでそれが今日なのさ。別の日にしなよ、春美ちゃん。
 そしたら真宵ちゃんが連れて行ってあげられるから」
 う。やっぱりドサクサでこの仕事の山から逃げようってわけには行かないみたいだ。
 あたしは、ぺろりと舌を出した。
 そして、しっかりこども扱いされたはみちゃんは、ちょっとだけほほを膨らまして拗ねている。
「わたくしだって、ひとりで動物園くらい行けます!
 それに…ここにわたくしがいても、お二人のお邪魔になるだけですから…」

 …それは、これがはみちゃんにはムズカシイ仕事だからか。
 それとも、例によってはみちゃんのでっかい勘違いなのか。

「そっか…じゃ、地図だけあげるよ。真宵ちゃん、あそこの地図コピーしてあげて」
「…え、あ…うん」
 そのあたりのことはまったく意に介さないって感じで(多分、忙しくて余裕がないんだ)
 なるほどくんが本棚の隅を指差す。
 あたしはコピーした地図をはみちゃんとふたり覗き込みながら、
 マーカーで事務所と動物園に印をつけた。そして、もうひとつ印を追加する。
「歩いていくには遠いなあ…このバス停からバスに乗るといいよ。動物園が終点のがあるからね」
「そうなのですか…わたくし、歩いていこうと思っていました」
「…多分、2,3時間かかるよ」
「いや、はみちゃんなら1時間で行けるかも…」
「…春美ちゃん。おこづかいあげるからバスで行きなよ。そのほうがぼくらも安心だし」
 なるほどくんがポケットから財布を取り出して、はみちゃんに紙幣を1枚手渡した。
「わー!なるほどくん、太っ腹!」
「ありがとうございます、なるほどくん、真宵さま!では、行ってまいります!」

 意気揚々と出かけていくはみちゃんを、ふたりで手を振って見送る。
 事務所のドアがばたんと閉まるのを合図に、あたしたちはふうっとため息をついた。

「ほんとにだいじょうぶ、かなぁ…」
「でも春美ちゃん、もうすぐ4年生だろ?大丈夫だよ」
「うん」
 わかってはいても、心配は心配。出てくるのはため息ばっかり。
 書類を前にしても、ちっとも手が動かない。
「うう、やっぱりあたし、一緒に…」
「しょうがないなぁ…どうせここにいても、心配で仕事、手につかないんだろ?」
 行ってきな、となるほどくんが苦笑する。
「ありがとう、なるほどくん!あ、じゃあ、あたしにもおこづか…」
「あげないよ」
 なるほどくんはさっきまでの優しい顔がうそみたいにクールにそう言い放つと、
 行ってらっしゃいとひらひら手を振った。

 …さて、あたしもパンダを見るのははじめてだ。
 ビルを出ると、遠くに見えるはみちゃんの背中を追いかけて
 あたしは勢いよくダッシュした。

《3月11日 パンダ発見の日》

 

 

4:

「コネコちゃん。昼、どうすんだ」
 正午を少し回ってざわつき始めた事務所で、神乃木センパイが私の顔を覗き込んできた。
「あ。私、持って来てます」
「ほう…弁当持参、か」
 事務机の上にとんとランチボックスを置いて、蓋を開ける。
「ええ、外食ばかりじゃ費用もばかになりませんし」
「いい心がけだな。しかし…ウマそうじゃねえか」
 ランチボックスの中には、ライ麦パンのサンドイッチが3種類。
 レタスにスクランブルエッグ、カリカリに焼いたベーコン。
 たらことジャガイモのサラダにきゅうり。
 ローストチキンと、トマト。
「…チキン、買ってきたお惣菜ですよ」
 ついでに言うなら、たらことジャガイモのサラダは昨日の夕食の残りだ。
 私は、少し肩を縮こまらせた。
 そんな私を少し見やると、センパイはふっと笑う。
「クッ…サンドイッチをこしらえたのは、アンタだろう?
 コーヒーがウマいのは、豆を煎るヤツだけが偉いんじゃない。
 淹れるヤツの技だって、大切…なんだぜ」

 相変わらず変なたとえだけど、純粋にうれしかった。
 ありがとうございますと感謝の言葉を口に出そうとして顔を上げると、
 口いっぱいにサンドイッチをほおばったセンパイと目があった。
 …しかも、私が一番楽しみにしていたローストチキン。

「ちょっとセンパイ、勝手に食べないでくださいよ!」
「コーヒーの香りだけで我慢できるやつがいたらお目にかかりたいもんだぜ」
「ごまかさないでください!」
 子供じゃないんだから、とため息をついて、スクランブルエッグサンドを手に取った。

 …と、瞬間。頭にふわりとした感触。

「ウマかったぜ、チヒロ。ごちそうさん」
「……」

 すごく、うれしい。すごくすごくうれしいけど。
「…ごまかされませんからね、私。これくらいで」
「そうかい?」
 センパイはくすくすと笑う。私の頬が、どんどん熱くなる。
「仕方ないな。とっておきの1杯、オゴってやるから。な」
「……も」
「?」

「…デザートも、つけてください」
「クッ…やっぱりコネコちゃんだぜ」

 外に出たついでに買ってくるから待っていろと、
 センパイはもう一度ぽんと私の頭をたたいて事務所を出て行く。

 私は灼けてしまいそうに熱い頬を押さえながら、
 手の中に残ったサンドイッチを噛み締めた。

《3月13日 サンドイッチデー》

 

 

5:

 午前いっぱいかかった外出の後、用事を済ませて執務室に戻る。
 机の上に、何やら見慣れぬ包みが鎮座していた。
「…何だ、コレは」
 手に取り、摘みあげて眺める。朝にはこんなものはなかった。
 包装紙にくるまれご丁寧にリボンまでかけられたそれは、紛れもなくプレゼントらしい。
 こんな物を貰う覚えはないし、大体今日はむしろ逆の立場にあるはずだ、私は。
 先ほど中身を配ってきた、空の紙袋をゴミ箱へと放る。

 時勢が時勢、さらにいうならば職業も職業。
 送り主不明のプレゼントなど、何が仕込まれているか知れない。
 よって、本来ならば受け取る必要もない…そのはず、なのだ。
 けれども何か勘のようなものが、私にその包みを開けろと囁く。
 私はその声を疑いもせず、細心の注意を払いながら包みを開封した。

 手のひらサイズの箱の中には、小さなキャンディが3つ。
 そして、コインロッカーの鍵と駅名の書かれたメモが入っていた。

 こんな事をする輩は1人しか思いつかない。
 すぐにポケットから携帯を取り出し、着信履歴を呼び出す。
 コール1回で出た相手に、私は挨拶もなしに即本題をぶつけた。

「私は何も贈っていないぞ。きみにこのようなものを貰う理由がない」
「もらってなくても、あげていいんだよ」

 ぼくがあげたかったから。
 だからいいのだと、電話の向こうのきみは笑う。何のてらいもなく。
 だから私は、いつも何も言えなくなってしまうのだ。

 それが嬉しいからだと気づいたのは、つい先日のことなのだが。

「む、むゥ…」
「まだ、ロッカーあけてないよね?」
「ああ、今箱を開けたところだ」
「うん。じゃあ、中身持って今夜、ぼくんちにおいで」
「了解した。ならば、何かお返しを用意していこう」
「…うーん、いいよ、別に」
「そのような訳には」
「いいんだよ、ちゃんと、もらうから」

 …御剣を。

 耳元に落とされた、色を帯びた声。
 行かないわけにはいかないのだろう。

「…仕方ないな、きみは」
「でも、そういうぼくでいいんでしょ?」
「む…そうだな…悪くは、ない」

 コインロッカーの中身を予想しながら返事をする私はきっと、
 確かに幸福を感じていた。

《3月14日 ホワイトデー》

 

 

6:

 ごくフツウの小学4年生にしてみたら、220円はちょっとした大金だ。

「だって、串カステラいくつ買えるよ?」
 矢張が、口をとがらせる。
「きみは食べることしか頭にないのか」
 これは、御剣。
「でも、読みたいよね…」
 ぼくらがいるのは、いつも立ち読みに来るちいさな本屋さんの店先。
 ガラスの中に積まれてるぼくらのお目当ては、今日に限って紐でくくられていた。

「な、読みてぇよな、いちご100%!」
「え、ワンピースじゃないの!?」
「わかってねぇな成歩堂!オレ、綾ちゃんみたいなコと将来ケッコンすんだ!絶対な!」
 矢張はびしぃ!と親指を立てて、にまにま笑ってる。ぼくはふいと顔をそむけた。
「…ぼく読んでないし、あれ」

 あんなエッチなまんが、恥ずかしくてとてもじゃないけど見てらんない。
 だいたい、まんがの女のコなんかよりももっとずっとキレイなやつを、ぼくは知ってる。
 所在なさげに立っている御剣を、ちらりと眺めた。
 と、突然御剣が口を開く。
「矢張、手持ちならあるぞ。そんなに読みたいなら立て替えてやってもいい」
「いいよ…絶対返せねぇから」
 唇をひん曲げてため息をつく矢張に、御剣は肩をすくめた。
「成歩堂、きみはどうだ」
「うーん、ぼくもいいや。コンビニとか、違うところあたってみるよ」
「ふム。そこまでして皆、アレを読みたがるのか」
 不思議なものだな。御剣はそうつぶやくと、視線をぼおっと店内に投げかけた。
 ぼくは、その横顔をただじっと見つめる。

 おんなじオトコなんだけど、御剣は本当にキレイだ。
 クラスの女のコたちの中にも、そりゃかわいいなって思う子はいる。
 でもそういうのとは違って、うまく言えないけど、御剣はぼくにとってトクベツなんだ。
 どうしてだか、そんな気がする。

「…どう、成歩堂?どうかしたのか?」
 気づくと、目の前に御剣のいぶかしげな顔。
「うわ!!」

 心臓が、どくんと跳ねた。
 あんまりにも驚きすぎて転んでシリモチをついたぼくを、御剣と矢張が笑う。


 ぼくの顔が赤いのは、笑われて恥ずかしかったからじゃない。
 それは、気づいてしまったから。

 「トクベツ」っていうのが、いったいどんな意味なのか、っていうことを。

《3月17日 漫画週刊誌の日》

 

 

7:

「どうだ、偶には良いものだろう」
 御剣はそう得意げに笑うと、オーディオのスイッチを落とした。
 サイドテーブルの上には、何枚かCDが置かれている。
「…うーん、悪くはない、んだけどさ…」
 結構こういう人って多いと思うんだけど、クラシックはなんとなく苦手だ。
 学生のころ、見たくもないのに連れて行かれた演奏会で爆睡して教授に怒られた、
 そんな記憶がまざまざと蘇ってしまう。

「大方きみのことだ、眠くなるとでもいうのだろう」
「う」
「図星か」
 バツの悪さに、かっくりと肩を落とす。
 そんなぼくを前に、御剣は、意外にも笑っていた。
「まあ、クラシックの何がすばらしいかなど、感じ方は人それぞれだろう。
 楽しくなる者もいるだろうし、曲によっては昂揚を感じることもある。
 …ある意味、きみは誰よりもクラシックの恩恵を受けているのかもしれないぞ。
 眠くなるというのは、曲を聴くことでそれだけリラックスしているということだからな」
「…それ、あんまりホメてないよね」
「そう卑屈になるな、成歩堂」
 笑ったままの御剣が、手の中のグラスを呷る。
 ぼくも、目の前の琥珀色の液体をぐいっと飲み干した。

 コイツがこれだけ上機嫌なのは、ぼくのこの手土産のせいだろう。
 そしてこんな上機嫌の日は、ぼくの誘いに乗ってくれる確率も結構高い。
 …それを狙って持ってきてるわけなんだけど、幸い御剣はぼくの魂胆には気づいていない。

「ね、御剣」
「なんだ」
「どんな音楽よりぼくをリラックスさせてくれて、楽しませてくれて、
 昂ぶらせてくれるものがあるよ」
「ふム…何だ、そのようなものがあるのか」
 まさか酒じゃないだろうなと、少し赤く染まる目元を細めてぼくを見る。
 その色っぽさに、くらくらする。何度見たって見飽きない。

「ある意味、酒よりタチが悪いかも」
 言うなり、ぼくは御剣の頬を両手で包んでくちづけた。

「…おまえだよ。御剣」

《3月19日 ミュージックの日》

 

 

8:

「真宵くんはいるか」
「へ?あたし?」

 事務所でひとり留守番してる最中に、みつるぎ検事がやってきた。

「ああ、いたか。良かった」
「どうしたんですか、みつるぎ検事」
「きみに朗報があってな。いや…もう知っているかも知れんが…」

 なんだか、みつるぎ検事にしては珍しく歯切れが悪い。
 とりあえずあたしはみつるぎ検事にソファを薦めて、おせんべとお茶をテーブルの上に置くと自分も正面に腰掛けた。

「…で、なんなんですか?もったいぶらずに話してくださいよ」
「明後日の日曜、ひょうたん湖公園でトノサマンの公開イベントがある」
「えーッ!!」
 びっくりして、思わずがたんと音を立てて立ち上がってしまった。
「なんだ、知らなかったのか」
「知りませんでしたよ!なんでみつるぎ検事がそんな情報持ってるんですかっ」
「私はきみより大人な分、人脈もそれなりにある。そういうことだ」
「…うー」

 自慢げに微笑んで、みつるぎ検事は湯飲みに手を伸ばす。
 あたしはなんだかコドモ扱いされたようでくやしくて、
 でももしかしたら、相手の知らないことを知ってて得意がってるみつるぎ検事だって
 充分コドモっぽいのかもしれなかった。

「ああ、それでな。イベントは後日テレビでも放送されるらしいぞ」
「へー!」
 さっきまでのくやしかった気分も、新しい情報で一瞬で霧散する。
 ってことは、放送できるくらいに中身の濃ーいイベントだってことだ、絶対。
 あたしの期待は、どんどん膨らんではじけそうになる。
「行きたい!ねえみつるぎ検事、行こうよ!」
「そう言うだろうと思っていた」

 みつるぎ検事が、まるで子供を見守るような目でわらう。
 でも、もう気にならなかった。

「…しかし、行こうというのは…きみと一緒に、か?」
「ふたりきりじゃイヤだっていうなら、はみちゃんも呼ぶけど」
「イヤ、決してそのようなアレでは…」
「じゃあ決まり!一緒に行こうね、絶対だよ!」
 へどもどしてるみつるぎ検事の両手をとって、ぶんぶんと上下に振った。
「わ、わかった、わかったから手を離したまえ…!」
「へへへ、はーい!やったー!みつるぎ検事とデートだぁ〜」

 帰りに、何かおいしいものでも食べに連れてってもらおう。
 そう考えると、にやにやが止まらない。
 もちろん、トノサマンもものすごーく楽しみなんだけど、ね。


 それから、何週間かたったある日。
 事務所で無理やりチャンネルを奪ってその日に収録されたイベントを見た。
 端っこにひょっこり映ってたあたしとみつるぎ検事のうしろ頭を見つけて大騒ぎしたら、
 なるほどくんがそれからしばらくの間、使い物にならなくなった。
 なにやらぶつぶつとつぶやいては、ひっきりなしにため息をついてる。

 もういいオトナなんだから、しっかりしてほしいよね。ホント。

《3月22日 放送記念日》

 

 

9:

 大学の中庭に、大きな桜の木がある。
 昼は昼でお弁当をひざに乗っけてにぎやかに笑いあう女子学生でいっぱいになるし、
 夜になればなったで、毎晩どこかのサークルがかわりばんこに陣取ってどんちゃん騒ぎ。
 なんとかゆっくり桜を見たいな、と思って
 講義の合間や登下校のときに何度もチェックを入れた結果、
 3限の最中が一番人が少ないってことがわかった。

 折よく翌日の3限が休講になったある日、昼休みも終わろうという頃に
 ぼくはちいちゃんの手を引いて中庭へと走った。
「リュウちゃん、今日は講義があったはずでは?」
「今日は休み。ちいちゃんも空きコマだよね?3限」
「それは、そうなのだけれども…」
 早く行ければ、いい場所が取れる。
 ちいちゃんから渡されたいつものランチバッグが、かたかた揺れる。

 運よく、桜の下はがらんどうだった。
 ぼくは急いで一番桜に近いベンチを陣取ると、
 くしゃくしゃのハンカチを広げて敷いて、ちいちゃんを座らせる。
 そして、ぼくも隣に腰掛けた。
「よかった、いいとこ取れたね」
「リュウちゃん…」

 頬を桜色に染めた彼女とふたり、頭上を見上げた。

 まだ5分咲きの桜の隙間から、春めいた太陽の光が差し込む。
 眩しそうに目を細めたちいちゃんに、ぼくはただ見とれた。
「…ほんとうに、キレイですわね」
「そうだね。すごく、キレイだ」
 ここで、「きみのほうがキレイだよ」とか言えたらかっこいいのかなあ、なんて思いながら
 ただ、ふたりでぼーっと薄桃色の花びらを眺めていた。

「来年も一緒に見ようね」
「…はい」
 目配せをして、微笑みあう。

 ふたりだけの世界の中、桜はやさしくぼくらを包んでくれていた。

《3月27日 さくらの日》

 

 

10:

 奇跡的に、二人そろって取れた連休の前夜。
 家じゅうの服を部屋の中にぶちまけて、私はひとり深夜のファッションショーにいそしんでいた。

「家でごろごろしてればいいじゃねぇか、立派な休日の楽しみ方だぜ」
 とか平気で言ってのけたセンパイを言い負かして、1泊2日の温泉旅行を予約した。
 新幹線で1時間。それほど遠くでもないし名所でもないけど、
 初めて旅行に行くことになって、どきどきしないはずがなかった。
 初めてデートした日も、初めて先輩の家に泊まった日も、それはそれは緊張したものだけど
 ふたりで旅行、というのは、また別の感慨がある。

「…センパイ、どんな服が好きかしら…」

 初デートは午前中に出先で仕事が終わってしまって、そのまま誘われて映画を見に行った。
 センパイの家に泊まるのはいつも仕事帰り。
 だから、私はいつものスーツでセンパイに会ったことしかなかった。
 裏を返せば、私もセンパイの私服を見たことがない、っていうことなのだけれど。

 時々、街で服装がまるでちぐはぐなカップルを見かける。
 ペアルックかと思うほどに似通った服を着ているカップルもいた。
 前者はなんだか寂しいし、後者はやっぱり恥ずかしい。
 ある程度系統の似通ったアイテムで、でもそれぞれのセンスが発揮されてる。
 そんなカップルを見たときは、ほう、とため息がこぼれた。

 だから私も、そんな風になりたいって思った。
 でもセンパイのセンスがわからないことには、どうしようもないのだ。

「仕事着があんな感じだから、ええと…」

 いろいろな服を、頭の中で当てはめてみる。
 ラフなトレーナーやパーカーなんかは、きっとあんまり似合わないだろう。
 かといって、スーツで旅行に来るような人だとは思えない。
 シャツにジャケットにパンツ、そんなところが妥当かもしれない。
 そう結論付けたところで、私はそれに合いそうな服を山の中から引っ張り出した。

 紫色に染められた膝丈のスカートは、春らしくふわりとしたシフォン素材。
 薄いグレーのカットソーに、真っ白なスプリングコートを合わせた。
 これなら、きっと大丈夫…だと思う。

 着替え用の似たような色違いのアイテムを鞄に詰めて、タオルなんかの身の回りのものも用意する。
 一通りの作業が終わって時計を見ると、もうとっくに12時を回ってしまっていた。
「うわ、もうこんな時間!」
 ファッションショーを始めたのは、帰宅してすぐ。
 どうやら4時間近く、私はこんな事をしていたようだった。

 急いでシャワーを浴びて寝る支度を整えると、私はベッドへと潜り込んだ。


 寝不足の目をこすりながら、待ち合わせした駅へ向かう。
 時計台の前に、朝8時半。
 きっかり5分前に到着した私は、鞄を足元に置くとまだ姿の見えないセンパイを待った。

 そして、待ち合わせ時間ぴったりにセンパイは私の前に現れた。

「おはようさん、チヒロ」
「え、せ、せ、センパイ…!?」

 予想外だった。いや、アイテム的にはほとんど予想通りだったのだけれど。
 仕立ての良い黒いシャツの襟元を開けて白いジャケットを羽織り、色の濃いサングラスをかけて。
 …そう、なんていうか、まるで…
「…ヤクザかマフィアかって感じですよ、センパイ…」
「そうか?ま、行くか。時間もねぇしな」
 そう言うと、センパイは何事もなかったかのように私の鞄を持って歩き出した。
 別段気負った感じはしないから、本当にコレがセンパイの普段着なのかもしれない。

 そんなことを考えながら、センパイの後ろをついて歩く。
 歩くたびにふわりとゆれるスカートの裾が、視界に入る。
 …結局、なんだかちぐはぐな感じになっちゃったな。
 こんなことになるのなら、もうひとつの候補だった黒のパンツスーツにすればよかったかもしれない。
 私は、朝ぎりぎりまで迷ってベッドの上に置いてきたスーツを思い浮かべた。

「…チヒロ」
「へっ!?」
 考え事の最中に突然話しかけられて、びっくりして立ち止まる。
 センパイは、にやりと笑ってすこしだけサングラスをさげて、私の瞳を見つめていた。

「カワイイぜ、今日の格好」
「…あ、ありがとう、ござい…ます…」

 よしよしと頭を撫でられて、頬が熱くなる。
 こんなに簡単に機嫌が直ってしまうなんて、われながら現金だとは思う。

 だけれど、それがきっと恋というものなのだ。

《3月30日 マフィアの日》


 

(1~5…2007.3.1~3.15)
(6~10…
2007.3.16~3.31)

時折元ネタのカレンダーにない記念日を入れてたりします。今回だとホワイトデー。
あと、前半にちなみ@ばら、後半にあやめ@桜で対にしてみました。わたしの中ではこんなイメージです。


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