拍手お礼SS(記念日編・11月)

 

1:

木枯らし一号の報を聞いたのは、確か一昨日だった。

さすがに秋用のトレンチコートじゃ朝夕の寒さをしのげなくなって、
どれほど疲れていても、きちんと湯船にお湯を張って入浴しないと温まれなくなった。
傍らには薄いベージュのマニキュアと、かさつき始めた喉をいたわる甘いレモネード。
つけっぱなしのテレビはドラマのクライマックスシーンを映し出し、
テーブルの上に広げていた指先は、もうおそらく乾いているだろう。
そっと指先で触れ、その勘が正しかったことを確認した。
「お風呂、入らなくちゃ」
タオルを用意して、冷え込む脱衣所で急いで服を脱ぐ。
すこし熱めに貯めておいたお湯はちょうどいい温度に温まっていて、
ざぶんと身体を滑り込ませると、
浴室の隅に置いている入浴剤のボトルを手に取り、中身を少し湯船にこぼした。
両手を広げるようにお湯をかき混ぜると、コーヒーに入れたミルクのように
渦を巻いてお湯になじみ、全体を染めていく。
もわりと立ち上る湯気も、ほんのりとミルクの香りを漂わせていて、口元がほころぶ。
「……ふぅ」
仕事は好きだし、誇りを持ってる。忙しくしているのは苦にならない。
あの人と一緒にいられる時は、どきどきするし、くすぐったいし、何より幸せ。
でも、こういうひとりの時間も、私にはきっと必要なんだろうと思う。

髪を束ねていたヘアバンドを解き、湯船に首まで浸かって毛先をお湯に遊ばせる。
そろそろ痛んできたし切り揃えなきゃなあ、前髪も伸びてきたなあ……なんて、
ひとしきりいじっている間に、漂う香りが変わったことに気がついた。

「あ」
あのひとの、香り。

帰り際、人目を盗んで事務所の廊下で、また明日なんてハグを交わして、
思い出すとちょっと赤面しちゃうようなことまで仕掛けてきたあの人に少し怒ってみせて。
笑いながら頬にかかる私の髪をかきあげ頭を撫でた指先の感触を、リアルに思い出す。

甘いミルクの香りに、僅かに、でも確かに混じる、ほろ苦いエスプレッソ。

離れていたって、こんなに近い。
一人でいても、あなたを感じる。
でもそれが、全然苦にならない。

ああ、私、恋してるなあ……なんて、ひとり湯船で苦笑したりして。
こんなことを思うのはガラじゃないって思うけれど、それでも後悔はしない。
ずっと一人で頑張っていた私に、甘え方を教えてくれた大切な人だから。

シャンプーのフローラルでこの香りをかき消すのが惜しくて、
暫くの間、目を閉じてお湯に髪を漂わせて。
うっすらと漂うカプチーノの香りの中、ただただ、あの人のことを考えていた。

《11月3日 アロマの日》






2:

その日、みつるぎ検事の様子がおかしいなって思ったのはあたしだけじゃなかったらしい。
いつものブリーフケースをなぜかあたしやなるほどくんから隠すように、常に死角へ死角へと動かして、
どうにも挙動がおかしかった。本人は自然に振舞えていると思ってるあたりが、また、なんというか。
あーこりゃなんか隠してるんだろうなあ(主になるほどくんに)と思ってたら、
みつるぎ検事に関しては犬以上の嗅覚を持つなるほどくんが、ビミョーにフキゲンそうな顔して立ち上がった。
「御剣」
「な、何かね」
「そのカバン、なんでぼくから隠すの?なにか隠したいものでも入ってるの?」
「そ、そんなことはない」
あーあ、なんかしどろもどろだ。
追求を続けるなるほどくんからアイコンタクトという名の密命を受け、
あたしはそっとみつるぎけんじの背後、ソファに立てかけられたブリーフケースの奪取に挑む。
「……私がきみに疑われるようなことをするとでも思っているのかね!」
「いや、思ってないよ、信じてるけどさ」
あーあ、何?この痴話喧嘩。
バカバカしいなーと思いながら、でもこのふたりがギクシャクしてしまうと
なるほどくんの仕事に対するボルテージが下がり、ひいては副所長のあたしにも
負担が及んでしまうというわけで、
不本意ながら、基本的に仲裁するように動くことにしている。
ま、本当にうっとーしくなったら、ムシするけど。たまにね。

みつるぎ検事が上体を少し折った瞬間、すっとブリーフケースに手を伸ばし、奪取成功。
「ま、真宵くん!?」
「なるほどくん、パス!」
「お、サンキュー」
ちょっと重たいブリーフケースはどさっと音を立ててなるほどくんの腕におさまり、
おさまったかと思うと、なるほどくんはすぐにジッパーを開けだした。
「こら、成歩堂、人のカバンの中身を無断で見ようなど」
「でも、なにか隠してるのは分かっちゃったからさ。ゴメンね、あとで夕飯奢るから」
「断る!キサマの奢れるものなど高が知れている!」
……いや、怒るところソコじゃないと思うよ、みつるぎ検事。

ごそごそとカバンをあさる犯罪者すれすれの姿。
本当にみつるぎ検事に聞いてみたい。なんでこの男がいいんですか。
どうやらすぐに目的のものが見つかったようで、なるほどくんは
大きな厚紙をふたつに折りたたんだものをすっと取り出した。
「……写真?」
お姉ちゃんの成人式の写真とか、お母さんの結婚式の写真が
なんかこんな感じだった気がする。
「御剣、だれ?これ」
中身を開いてすぐ、なるほどくんはみつるぎ検事の目の前に
その大判の写真をつきつけた。
「うわ」
綺麗な女の人が、綺麗な着物を着てにっこりと微笑んでいる。
こんなの、実物見たことないあたしでもなんなのかすぐわかる……
これ、お見合い写真だ!
「み、御剣……お見合いするの!?」
みつるぎ検事が、話しにくそうに俯く。
「押し付けられたのだ。会うだけでいいからと……」
「そんな、ダメだよ!絶対ダメ!」
なるほどくん、鬼気迫る。
「しかし、付き合い上断るに断れなかったのだ……
 キミにはそのような経験はないのかね?」
はらりと落ちた釣書とやらを見るに、おお……確かに、
こりゃみつるぎ検事からは断れなさそう。
そうじゃなくてもみつるぎ検事、押しに弱いし。
「そんなの、“将来を誓った相手が……”って言って茶を濁せばいいだろ」
「だが、仕事上、今後しばらくは顔を合わせる相手なのだよ……
 適当にいなしても、いつまでも独り身であれば嘘であるとすぐ露見する」
「ウソじゃないだろ、ぼくがいるんだから!」
「君は、私に職場すべてにカミングアウトしろというのか!」
うわー、喧々諤々……今回は無視したほうが良かったなあ。
帰りたいけど多分、帰ろうとしたらあたしにも火の粉が掛かりそうな……
えーとえーと……何かいい方法はないかな……
……あ、そうだ。
「ねえみつるぎ検事ー、あたしが彼女役やるから、ひと芝居打てばいいんじゃない?
 で、オトナになるまで待ってるって言えばいいじゃん。
 それなら3年は稼げちゃうし、そんだけ時間あったら逃げ切れるでしょ?」

うん、我ながらちょっと名案。
……て、あれ?
なんでふたりとも黙っちゃってるの?

「……ま……真宵ちゃん、それはちょっと……」
「うム……それはそれで、別の疑惑が生まれそうだな……」

なんかふたりで顔を見合わせて、居心地悪そう。
ヘンなの。
でもまあ、ケンカは止められたみたいだから、いいかな。

……いいよね?

《11月6日 お見合いの日》






3:

たまにゃコンビニ飯以外のもんでも食ってみるか、ってんで
閉店間際のスーパーに飛び込んでみたんだけどよ。
このワビシサったらないね。
野菜はなんとか並んでても、肉も魚もありゃしねえ。
けど、別に自炊らしき自炊してるわけでもねーから
そんなもん売ってなくたってゼンゼン困んねーけどさ。
ま、棚がすっからかんってのはよ。ちょっとサミシイよな。

まあそんなわけで買うのはインスタントコーヒーと、朝飯用のパンと……
……って、こりゃ缶コーヒーがインスタントになっただけで
コンビニと一緒じゃねーか。
コンビニだとついついレジで中華まん買っちまうけどな。寒いからな。最近。

「……さみぃんだよなぁ」
ぼそっと呟く。
ガキの頃は、寒くなったなーと思った頃にオフクロが空気読んで
湯豆腐だの寄せ鍋だのを食卓に乗っけてくれたっけか。
ああいうモンが食いたいけど、ひとりで鍋ってのもなぁ。寂しいよな。
ハムの棚の隣に置いてある、肉と野菜の詰まったちゃっちいアルミ鍋を一瞥して
そのままレジに向かった。
あーあー、あん時ナオミちゃんに用事がなきゃなあ。
今頃ふたりで買出ししーの、鍋ぐつぐつ言わせーの、
はいアーン、なんつってな!

……はぁ。ムナシイぜ。
帰ってラーメン食って寝るか。

レジに、コーヒーとパンの袋をごろんと置いて、
1000円置いて返ってきたつり銭をポケットに突っ込む。
ありがとうございましたーの声を背中に、足早に立ち去ろうとしたとき、
「あれー?ヤッパリさん?」
「おひさしぶりです!何をなさっているのですか?」
ぱたぱたと駆け寄るふたつの足音と、耳慣れた声の主が寄ってくる。
「お、買い物か?ふたりだけで?」
「うん、今日は鍋なんだよ!」
ほら、と掲げられた半透明の袋から、ネギの頭がはみ出てる。
「なるほどくんは、サムいから留守番するって……
お買い物でしたらぜひ真宵さまとおふたりでどうぞ、と言いましたのに」
「ああ。アイツ昔から寒いのダメなんだよなぁ」
「ほら、だから言ったでしょ?はみちゃんの留守番が心配なんじゃなくて、
自分が行きたくないだけなんだから。なるほどくんは」
「わあ、やはり真宵さまはなるほどくんのことをよくわかっていらっしゃるのですね!さすがです!」
「……イヤイヤイヤ、そうじゃなくって」
目の前で始まったきゃらきゃらとした言い合いも、なんだかあったかい。
「なあ、そっち、今日鍋なんだよな」
「ん?そうだよ」
「オレも邪魔しちまおっかなー」
冗談っぽく持ちかけてみると、
「いいよ!人数多いほうが楽しいもんね!」
いつもの装束に襟巻きを巻き、少し頬を桃色に染めた真宵ちゃんがにこっと笑う。
「よっし、じゃあちっとばかり待っててくれや。
さすがに手ぶらでイキナリ行ったら、成歩堂に文句言われそうだしな」
ふたりの頭を撫でるとくるりと踵を返し、小走りで売り場に戻る。

さて、なんにしようか。みかんでも買っていってやるか。それともアイスか?
財布がちょっぴり寂しくなることくらい、どってことないさ。

さっきと変わらない閑散とした売り場が、今度は寂しくなかった。

《11月7日 鍋の日》






4:

長期の海外赴任、しかも急務となると
すべての荷物を別便で先に運び、からだ一つで飛ぶわけにも行かなくなる。
よって、必然的に当座の荷物を詰めた大きなトランクを持参しなければならず、
そのトランクを持っていては、当然だけれどエスカレーターに乗ることも覚束ない。
タクシーから降り空港に足を一歩踏み入れた瞬間、
私の連れはある事実に気づいてそこで固まってしまった。
ああ、やっぱり。
気づかれないように、そっと溜息をつく。

ここは1階、国際線の出国ロビーは3階。
エスカレーターが使えない以上、エレベーターで昇るしかない。
スロープもあるけれど、ここからだと遠回りにも程がある。

「……ねえ、レイジ……」
「ム、すまない……心の準備が」
「そう言ってもう、たっぷり30分は経ったわね」
「………」
「覚悟を決めないと、乗り遅れてしまうわよ?」
トランクの端に腰掛けて、長期戦の構え。
タクシーの中どころか、この急務が決まった瞬間からこうなるだろうことには気づいていたから
それほど腹は立たないし、予測してかなり早めにも出てきた。
それでも、いつまでもここにこうしているわけにも行かない。
「……メイ、あちらの棟のスロープから昇ってはいけないだろうか」
「ダメよ」
情けない声を一刀両断する。
これも、克服する機会。甘やかしたらタメにならない。
『私の荷物も持って、ひとりで上へ上がってくれないだろうか』
なんて言い出したらムチが飛ぶところだけど、さすがに狩魔の教えを受けた人間、
そこまで落ちぶれてはいなかったらしい。
レイジは何度も唸り、俯き、頭を抱えてたっぷり30分後
(つまり、ここに到着してから1時間だ。読みがほぼ当たっていることが笑えるやら情けないやら)
ようやく決心したらしく、トランクのハンドルに手をかけた。
「ま……待たせてすまなかったな、行こうか」
「ええ」
ごく普通に返事をして、エレベータに向かう。
フロアの真ん中にどんと構える直方体の囲い、その上方から、ゆっくりと鉄の箱が下りてくる。
目の前でしゅんと扉が開いた瞬間、ごくりと息を飲む音が聞こえた。
「レイジ」
「な、なんだ」
「手と足、一緒に出てるわよ」
トランクを引いていない右手と、右足が同時に前へ出ている。
「だ、大丈夫だ、これくらい」
「……そうは見えないわね、とても」
それでもなんとか乗り込み、ドアが閉まっていくのを横目にレイジを見上げると、
案の定、唇をかみ締めて真っ青になっていた。
「……仕方ないわね」
小刻みに震える冷たい指に、そっと指を絡ませた。
「今は2001年ではないし、あなたはもう何も出来ない子供じゃない。立派な大人よ。
ここは裁判所ではなくて空港、隣にいるのは私。扉はもうじき開くわ」
だから大丈夫。
手を握ると、震えていた手がゆっくりとぬくもりを取り戻していった。

「ありがとう、メイ」
握っていたはずの手はいつの間にか握り返されていて、
その手の温度と力強さに、もう大丈夫なのだと気づかされる。
「どうしたしまして」

だって、弟の手を引くのは姉としてあたりまえの務めでしょう?


《11月10日 エレベーターの日》







5:


※4ネタ





木枯らしの吹くバス停のベンチはつめたくて、座った瞬間に全身がすくんだ。
トリハダのたちそうなフトモモをかばい、慎重にスカートを引っ張りながら
もう一度ゆっくり座りなおすと、隣に座ったパパを見上げる。
「……やっぱり、パパの言うとおりタイツはけばよかった」
「だろ?急に寒くなったからね」
一張羅のコートのエリを掻き合わせながら、白い息を吐きながら。
パパはみぬきの頭をぐりっと撫でた。

時刻表を見ると、バスが来るまであと12分。
それまで、この吹きっさらしの中で凍えてないといけない。
「これだけ時間があったら、次のバス停まで歩けそうだね」
「え」
自分自身をぎゅっと抱き締めるように腕を組んで縮こまっているパパが、
露骨にイヤそうな顔をする。
「……ゴメン、それはカンベン」
もうすこし暖かきゃ別だけど、こう寒きゃなあ。
呟く声さえ白く染まって、かさついたくちびるのまわりを漂う。
「パパ、寒いのキライ?」
「うん、ちょっとこればっかりはね」
苦笑しながらも、腕をほどこうとしないどころか
つま先をとんとんと踏み鳴らしながら小刻みに震える姿を見ると、
寒いの、ちょっとどころじゃなくて、すごーくキライなんだろうなってわかった。
「それ、真冬のコートだよね。それでも寒いの?」
「うん。ダメなんだ。冬は……去年から、特にね」
「去年、なにかあったの?」
「……真冬の川に落ちた。しかも急流の」
「うわあ……」
想像しただけで、思わずこっちまで震えちゃう。
震えがつたわったのか、パパはくすっと笑った。
「みぬきも寒いだろ?おいで」
ちょいちょいと呼ばれた膝の上、コートの前を寛げた胸に背中を預けて座ると
すっぽりコートでくるんでくれて、擦り傷の目立つ冷え切ったひざこぞうを
そっと撫でさすってくれた。
「あんまり暖かくないかもしれないけど、ちょっと辛抱ね」
「……うん」
寒さで震えたわけじゃなかったんだけどなぁ。
いいや、嬉しいから。

うん、あったかいよ。
ありがとう、パパ。

「かわいいコート探そう、みぬき」
「うん」
「着て帰れば、あったかいからね」
「……うん」

パパのコートにくるまれて、バスが来るまで後3分。
……ちょっとだけ、コートなんて買いに行かなくても、このままでもいいかなって思っちゃった。

でもみぬきのためにケンヤクしてたパパを知ってるから、
今日はうんとかわいいのを買ってもらおう。
そして、かわいいねってパパに誉めてもらうんだ。

《11月13日 いいひざの日》






6:

「……というワケや。な、悪いの向こうやろ!?」
「ええと……それは、ナツミさんにも非があると思いますけど」
というか、むしろ5割が自業自得、3割が不運。
残りの2割が相手の非と言えるかなって感じだけれど。
それをどれだけ説明したら分かってくれるのかなあ……
「ナルホドーを法律家と見込んで相談があるんや!」なんて拝まれて、
一体どんな事件に巻き込まれたのかと思ったら、ただのグチじゃないか。
時計をちらりと見る。幸か不幸かこの後の予定はひとつもなくて、
ぼくは心の中でとことん付き合う覚悟を決めた。

「ひとの髪形捕まえてな、こげたわたあめはないよなあ、なあナルホドー!?」
……それ、春美ちゃんも言ってたんだけどな。まあいいか。
「確かに、行き会っただけの他人の容姿を貶めるようなことを言うのは良くないですね」
「せやろ!?」
「でも、口でちょっと売られたくらいのケンカだったのに、
 大騒ぎして事を荒立てたのはナツミさんですよね?」
「……ッ」
「売られたケンカを10倍にして返した以上、非はあちらだけのものではないんですよ」
「……そうか、そやな……」
ちょっとしおらしい。これは、わりと早く分かってもらえるかもしれない。
「まあ、運が悪かったとしか言いようがないですね。
訴えるとかそういうことは諦めた方がいいと思いますよ」
「そか、プロから見てもそうなんやな……何とかなるかと思ったけど、アカンねんな」
「ええ、ちょっと無理ですね」
さらっと言うと、話を締めくくることにした。
「まあ、最後にぼくからアドバイスできるとしたら、ですが」
「なんや、なんか他に方法があるんか!?」
「たいしたことじゃないんですけどね」
つばが掛かりそうな勢いで食って掛かってきたナツミさんを諌めながら、
「もしポリシーでやっているんでなければ、その髪型を変えてみるのが一番かもしれませんよ」
と言ってみた。
もしかしたら怒られるかな、という想像は外れ、彼女はがっくりしたように肩を落とした。
「ああ、なんや……それかあ」
「もちろん、無理にとは言いませんけど……」
「イヤ、ほんまはな、イメチェンとかしてみたいんや、ウチも」
「……へえ」
意外だ。
「自分でもちょっと飽きてしもてんけどな……なあ、ちょっと聞いてや」
「え……いや、ぼくに言われても、専門外なんで……」
嫌な予感がして、なんとか逃れられないかと目を泳がせるけれど、
退路はどこにもなかった。
「いーや、ちょっと聞いてや!やめよう思ていっぺん美容院で聞いてみてんけどな、
アフロやめるんやったら、坊主にするかごっつ短くするかしかないって言うねんで!
女の髪は命や!それを短くせえなんて……何年美容師やってんねん。いう話や!なあナルホドー」
「そ、そうなんですか……それは大変ですね……」

……しまった……
せっかく短く話を終わらせられそうだったのに。

ぼくがうっかり突いた藪から出てしまった蛇はずいぶん派手に暴れまわり、
グチがグチを呼びたっぷり一時間、付き合わされる羽目になった。

《11月18日(毎月18日) 頭髪の日》
検索したら、そういう風に出てきました。<アフロ後は坊主か短髪




7:

※4ネタ






「パーパ!休みの日くらい早起きしてよね!」
ばさっと毛布を奪われて、体中をぶわっと冷気が包み込んだ。
「休みの日だからこそ寝坊が気持ちいいんじゃないか…」
なんとか体温を維持しようと枕を抱えて丸くなると、降りてくるのはでっかい溜息。
「朝ごはん、一緒に食べようと思って作ったのにな」
「…う」
スネたような物言いに負け、眠りたがる身体をムリヤリ起こす。
仕方ないよ。
基本、我が子には甘くなるものなのだ。男親ってヤツは。

ちいさなヤカンが、ちいさなガスコンロの上でシュウシュウと音を立てている。
お茶くらいは自分で、と思ってヤカンに手を伸ばすと、みぬきに止められた。
「パパ座ってて、みぬきがやるから!」
「いや、ぼくにもお茶くらい入れられるし」
「いいの、やらせて!」
やいのやいのとやりあっている間にオーブントースターがチーンと中身の焼き上がりを知らせ、
ぼくはぐいぐいとキッチンから押し出される。
振り返ると、みぬきがトースターの中身を手の中の皿にひょいと乗せて、
何かをぱらりと振りかけているところだった。
「慣れたもんだね」
「パパが寝てる間に自分でやってるもん、いつも」
「そっか」
夜型のぼくとは違い、みぬきは朝起きて学校へ行き、夜眠る生活をしてる。
初めのころは、ぼくも頑張って朝まで起きていて朝食を作ってやったものだ。
だけれど、ずいぶんしっかりしてきた今となっては、
ひととおりの家事をマスターしたみぬきにすっかり甘えている格好だ。

トレイに乗っかった皿に、マグカップが添えられる。
「みぬきが飲みたかったからミルクティーにしちゃったけど、パパ平気?」
「うん、いいよ」
朝に糖分を取るのは、頭のためにはよいことだと思う。
とはいえ休日に頭を働かせる必要もないわけだけど、たまにはいいだろう。
まだ、メタボリックだなんだってのを意識するには早いと思うし。

「はい、どーぞ」
ちいさなボウルに盛られたサラダをテーブルの真ん中に置いたみぬきが、ぼくの向かいの席に座る。
「いただきます」
「いただきます」
まず手を伸ばすのはマグカップ。
いつものインスタントコーヒーとは全く違う香気と甘さが、まだ半覚醒の脳に優しく染み渡る。
そして、程よくとろけたチーズの乗ったピザトーストを口元へ運んだ。
うすく塗られたケチャップと、細切れのハム、スライスオニオンにピーマン。
野菜が少し大ぶりなのは、ご愛嬌。
とろけたチーズの上に何かハーブのようなものが散らばっていて、それもまたおいしい。
「ね、パパ、おいし?」
「うん。おいしいよ、ありがとう」
にっこり笑うと、少し心配そうだったみぬきもほんわりと笑う。
「去年よりも上手になったでしょ、パパ?」

……ああ、そうか。
ぼくの脳裏に、しょんぼりとうつむくみぬきの泣きべそ顔が浮かぶ。

こげかけたパンの上に、べっちょりと赤いケチャップ、
そして切られていないハムに、なぜか溶けきっていないチーズ。
ひとくちかぶりつくと、噛み切れなかったハムに引きずられてチーズがずるりと落ちた。

あれは、去年の今日だったんだ。

「うん、すごく上手になったね。ありがとう、みぬき」
頭を撫でてやると、くすぐったそうにえへへと笑う。
その頬にパンくずが付いているのを払ってやって、ぼくは幸せをかみ締めた。

でも、たとえパンが焦げようと、チーズが溶けていなかろうと、
娘にご飯を作ってもらえるだなんて、それだけですごく幸せなんだけどね。

あの日も伝えた感謝のことば、今度はきちんと受け取ってもらえたみたいだ。
だってあの日半べそでとがっていた唇は、今日はにっこりと弧を描いている。

《11月20日 ピザの日》






8:

休日でも、仕事があれば事務所に赴く。
今日は真宵ちゃんは休み。
事務作業をお願いしたのだけれど、里で何か行事があるとかで断られた。
ぼくは暫く立ち上がらなくてもいいように、ポットと急須をデスクに持込み
大きな湯呑みを傍らに、帳簿を広げた。
「……うーん……」
休日というだけで、なんだか仕事が捗らない気がするのは何故だろう。
やっぱり昨夜、我慢して自宅でひとりで過ごすべきだった。

初冬の寒さと寂しさに負けて携帯を鳴らした自分と、
自分から言い出せないだけで、同じ願いを持っていた相手。
ふたこと言葉を交わしただけで、もうその晩は一緒に過ごすことになっていた。

身体の節々が怠いのは、寒さのせいだけじゃない。
そんな怠さも、今日が休みであれば互いに苦笑しながら癒すことが出来たのに。
「……ま、仕事なんだから仕方ないよな」
わかってたことだし、とひとりごちるけれど、当然のように応えはない。

しかし、静か過ぎる。こんなにここは静かだったっけ?
どうにもそわそわと落ち着かず、ふとデスクの端のリモコンに目が留まる。
でも、テレビをつけてしまうと目がどうしてもそっちに行ってしまうし、
かといって無音ではどうにも息が詰まる。
「うーん」
となると、ラジオか。
休日のラジオなんて、リスナーからのメールが
「今どこどこに行ってます!」「紅葉を見に行く車の中です!」みたいなのばっかりで、
仕事をしている人間に対しての遠慮がまるで見られないのが正直シャクだ。
でもまあ、無音よりは幾分寂しさもまぎれるかもしれない。
ラジオの小さなつまみをくるりと回して、適当にチャンネルを合わせた。

予想したとおりのどうでもいいようなメールと、流行の歌謡曲は
意外と寂しさを紛らわせてくれて、それなりに仕事も捗った。
ひと休みとばかりに湯呑みの茶をぐびり、とやっていると、
どうやらラジオ番組も、新しい話題に移っていたようだった。
「生まれ変わっても今の夫と結婚したい人は、少数」
なんて、男性パーソナリティーがしゃべってる。
そういえば、今日はそんな日なんだっけ。カレンダーを見て、納得した。

「生まれ変わったら、別の人と結ばれたい……か」

それは例えば、過去にあった選択肢を選びなおしてみたいという衝動なんだろうか。
日傘にすこし隠れた、桜の花のようなたおやかな微笑を思い出す。

でもそれは、ぼくにとってはあくまで過去でしかない。
10年以上もの長い間、ひとりのことを考え続けてきたぼくの歴史の中に、
彼女はほんのすこし紛れ込んだだけだ。

子も成せず、
公表することも出来ず、
法のもとに結ばれることも叶わない。

それでもきっとぼくは、生まれ変わっても御剣を選ぶだろう。
何度も、何度でも。

《11月22日 いい夫婦の日》






9:

事件は会議室で起きてるんじゃない……なんて、子供の頃に流行った言葉が思い出される。
証拠や手がかり、解決のためのどんな小さな糸口でも掴むための捜査。
自分が動くことによって事件が動くかもしれない、その緊張感がたまらなくいい。
感謝されたくて仕事をしているわけではないけれど、
それでも、実際自分のしたことで誰か泣いている人が笑えたとしたら、
それはとても誇らしいことだと思う。

これで休日に呼び出されることさえなければ最高なのに、と思うけれど、
世の中そんな上手い仕事はないわけで。
その休日に入っていた、もう2週間も前から楽しみにしていた予定を
フイにされるこの悔しさは何度味わっても慣れない。
彼女が理解してくれていることが、不幸中の幸いかもしれない。

「……はぁ」

身を切るような寒さの中、草むらを分け入って、あるかどうかも分からない証拠品を探す。
でも、ここにあるかもしれないと思うと、一瞬たりとも気は抜けない。
しかし、数時間をかけて探索しつくしても証拠品らしきものは何一つ見つからなかった。
「……まあ、こんなモンっスよね」
屈み続けていたせいで痛む腰を叩きながらひとりごちたところで、後ろから足音が近づいてきた。
思わず、姿勢を正して振り返る。
「お疲れさまっス、御剣検事!」
「うム、ご苦労」
革の手袋に包まれた手が、珍しくコンビニ袋を提げている。
なんだろう、と疑問に思ったものの、それは口に出さずにおくことにした。
「どうかね、調子は」
「ダメっスね……カケラひとつ出て来ないっス」
「では、進歩はなしということか」
「イヤ、ここにはない、ということが分かっただけでも進歩してるっス」
「……そうか」
何か言いたげだったその口は同意の言葉を呟くにとどまり、
かわりにコンビニ袋が目の前に差し出された。
「?」
「ほんの気持ちだ。いつもよくやってくれているしな。差し入れだ」
「差し入れ!?ほ、ホントっスか!」
「私はウソは言わんよ」
その言葉こそがウソだ、と思いながら、そこにツッコミを入れたら
ただでさえ少ない給料がますます減ることは間違いないので、やっぱり黙っておいた。
「では、ごちそうさまっス!」
がさがさとビニール袋の中身を検めると、缶コーヒーに肉まん、それから、
「……のどあめ?」
「ああ、すまない。これは私のものだ。どうも今朝から喉がいがらっぽくてな」
「それはいけないっス!捜査なんてジブンたちがやるっスから!
 御剣検事は家で休んでいてくださいよ。祝日なんスから」
「構わんよ。我々の仕事に祝日など関係ない。
 暦どおりに休みが取りたいのなら、とうにそのような仕事に就いているさ」
それはキミも同じだろう?と、こちらを向く瞳が言外に告げていた。

缶コーヒーのプルタブを開け、肉まんを取り出しはふはふと頬張る。
「これ戴いたら、川向こうに行ってみるっス」
「そうだな、それがいい」
「検事は家に戻っててくださいっス」
「そういう訳にもいかないな。今から留置所に面会に行かなければならない……
あわただしくてすまないが、これで失礼する」
もごもごと肉まんを平らげて、缶コーヒーを飲み干す。
既に遠ざかろうとしている背中に向かい、最敬礼して大声で叫んだ。
「お疲れさまっス……ありがとうっス、御剣検事!」

感謝されたくてしている仕事ではない、それは自分も検事も同じのはずだ。
それでも、たまにはこうして礼を伝え合うことも、きっと必要なのだろう。
空になったコーヒーの缶をゴミかごに投げ入れると、頬を叩いて気合を入れた。

《11月23日 勤労感謝の日》






10:

新調した冬のコートに合うストールを買いたい、なんてことをぽろっと口に出したら、
じゃあ一緒に見に行こうぜなんて言われて、その30分後にはもう電車に乗っていた。
「……あんまりせかすから、ろくにお化粧も出来なかったじゃないですか……」
「なあに、イイ女は化粧なんかしなくたってイイ女さ。オレは気にしないぜ」
「私が気にします!」
とにかく、電車を降りたら化粧直しだ。
センパイには悪いけれど、どこか時間のつぶせるところで待っていてもらおう。

本屋に併設されたカフェの窓から手を振ると、センパイが手にしたカップをひょいとかざす。
ちょっと待っていろ、のジェスチャーの後、カップの中身を飲み干すと
すぐに通路に出てきてくれた。
「呼んでくれれば、私もお茶くらいお付き合いしたのに」
「いや、オレが勝手に急いて勝手に待ったんだ。コネコちゃんを付き合わせるわけにはいかねえさ」
そっと肩に回った手が嬉しくて、斜め上にある彼の顔を振り仰ぐ。
「……なんだい」
「いいえ、何でも」
「オレは何でもなくはないがな」
「へえ、なんです?」
こつこつとブーツの足音、こんなところに冬を感じる。
「さっき電車の中で言ったアレ、取り消そうかと思ってな」
「電車……何でしたっけ?」
本気で忘れていたので、首を傾げる。
「イイ女がますます綺麗になって帰ってきたからな。化粧も悪くねえ」
「……もう」
真っ赤に染まった頬で唇を尖らせるけれど、嬉しくないわけがなかった。

目的のストールはすぐに見つかったけれど、
せっかくなので、とデパートの中を目的もなくぶらぶら歩くことにする。
「なにか欲しいものはないのかい?」
「そうですね、気に入ったもので、買ってもいいなと思うものがあれば買うかもしれません」
でも基本、服屋さんっていうのは見ているだけでも楽しいのだ。
普段着ない系統のショップでも、マネキンを見ていると色味の合わせ方の勉強になったりする。
胸元にフリルをあしらったブラウスに、ニットカーディガン、ベロアのスカート。
細身のデニムパンツに、ショート丈のジャケット。
結婚式シーズンなのか、ファーのボレロを纏ったドレスもところどころに飾られていた。
「こういうの、どうだい」
センパイがところどころで指差してくれるけれど、なかなか着る機会のなさそうなものが多い。
「ジーンズ履いた私って、想像できます?」
「……難しいな」
「でしょう」
興味がなくはないけれど、多分、私には似合わないんじゃないかな。
それにあまりにカジュアルだと、センパイの横に立ったときに違和感が生まれる気がする。
これは、口には出さないけれど。
「これはどうだ、チヒロ」
「……悪くないですね」
指差された先にあったのは、ベージュのツイード生地のハイウエストワンピース。
スカートのすそがギザギザになっていて、ひらりと広がるマーメイドラインを強調していた。
これなら、仕事着としてもわりと違和感なく着られるだろう。
試着してみようかなと手に取ってみたものの、丁度視界に入った値札を見てすぐに棚に戻す。
「どうした」
「……ちょっとだけ予算オーバーでした」
早々と諦めて店を出ようとした私の肩を、センパイがぐっと掴んだ。
「どうしたんですか」
「買ってやろうか?」
「へ!?」
誕生日でもなんでもないし、クリスマスはもう少し先だ。
「だって、どうして……買ってもらう理由がないです……!」
「いいじゃねえか、たまには」
センパイはニヤニヤと笑う。全然理由になってない。
でも、確かに今まで、形あるものを彼からもらったことはなかった。
それ以上にもらっている、形のないものが多すぎて気にならなかったけれど。
「………」
私が黙っていると、センパイが耳元で囁いた。
「イイ女は、イイ服を着るもんだぜ」

このひとことで落ちる私、甘いのかなあ。


「センパイ、本当にありがとうございました」
「なあに、オレが着て欲しいと思った、ただそれだけさ」
紙袋を抱えながら、どうしようもないほどにやけてしまう。

……けれど、はたと思う。
男が女に服を送るのは、それを脱がせるためだとか何とか……

いきなり立ち止まった私を不審に思うことなく、あくまで飄々と、
まるで心を読んだように、センパイはにやりと笑った。

「コネコちゃんは、オレに服を脱がされるのはイヤかい?」

その言葉に真っ赤になった私が、
手の中の紙袋をセンパイにぶっつけたのは、言うまでもない。


《11月29日 いい服の日》


もう、いつから展示していたのか覚えていません…
12月分はすべて書き下ろし、オフラインにて1年分まとめました。よろしければご贔屓に。

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