6:
ちょっと前に相談を受けていたお客さんから、クール宅急便でお礼が届いた。
「うわー、こんなのもらえるなんて。なるほどくんも立派になったね」
「……真宵ちゃんに言われると、なんだかなぁ……」
まんざらでもなさそうな、でも言葉通り複雑そうにも見える表情でなるほどくんが苦笑する。
あたしは目の前に鎮座した箱をじっと眺めた。
うーん、このサイズ……なんだろ?
「なるほどくん、開けてみていい?」
「うん、多分冷やしとかなきゃいけないものだし、ばらして冷蔵庫入れといて」
「おっけー」
聞くが早いか手が動くのが早いか、べりべりと包装紙を破っていく。
この大きさの箱で、冷やさなきゃいけないって言ったら絶対絶対、おいしいものに決まってる!
「おー……!」
包装紙の中から出てきた真っ白なボール紙の箱をばかん、と開けると、
そこにはシュークリームがぎっちり並んでいた。
「なになに、何だった?……おっ」
思わず感嘆の声を上げたあたしの横から、なるほどくんがひょいと顔を出す。
「シュークリームだ」
「だね」
袋に入ってきっちり並んだそれは、どうやらぜんぶ味が違うみたいだ。
見た目からして色が違うものもあるし、見た目ではわからないものもある。
「へー」
一個手に取って、しげしげと眺める。
コンビニとかで売ってるような、ふわふわした感じがしない。
どっちかというとどっしりと硬くて、うーん、これほんとにシュークリーム?って感じだ。
「ね、食べていい?今」
「ん、まあ、そのためにいただいたものだしね」
今日はあんまり仕事もないらしいなるほどくんが、箱の中を物色し始める。
「……普通のとプレミアムって、何が違うんだ……?」
「食べ比べてみたらいいじゃん」
「でも、一個ずつしかないぞ」
「じゃあ、はんぶんこで」
「うん、そうしよっか。あたし、お茶淹れてくるね」
にこにこと上機嫌でお湯を沸かし、いつもの日本茶じゃなくって紅茶を用意して戻ると
なるほどくんが口をへの字に曲げて、まゆを寄せていた。
「どうしたのなるほどくん、まゆげが曲がってるよ」
「いや、それはいつもだから……って、そうじゃないだろ!」
おー、いいノリツッコミ。
「で、どうしたの?」
「……手で割ったら、ちょっと。ごめん」
なるほどくんが差し出してきた手の中に、どう贔屓目に見ても半分ずつにしたようには見えない
シュークリームの成れの果てが治まっていた。
ついでに言うなら、クリームは皮からでろんとはみ出てなるほどくんの手にこぼれている。
「ちょっとじゃないよ、なにこれ!」
「仕方ないだろ、触って硬いと思ったからちょっと力入れたら思いのほかもろかったんだよ!」
「……それ、なるほどくんが食べてね、ぜんぶ」
さすがに、この状態のものを貰いたいとは思わない。
「かわりに、プレミアムはあたしのもんだから。あと、抹茶とチョコと栗もね。あ、大納言も」
「どんだけ食べる気だよ!」
なるほどくんのツッコミを無視しながら、箱の中からいつつのシュークリームを取り出すと
あたしは油性ペンを取り出し、全部の袋に「真宵ちゃん専用!」って
これ見よがしにでかでかとサインしてやった。
《10月19日 シュークリームの日》
7:
ひんやりと冷えた夜気を頬に感じながら、合鍵を鍵穴に差し込む。
ガチャ、と音を立てて開いたドアの向こうは当たり前だけど真っ暗で、
手探りでスイッチを探し、電気をつけた。
主のいない部屋をぐるりと見回し、ここに来ると勧められるソファに目を留める。
ひとりで座ってみたけれど、いつも感じるような包み込まれる暖かさがなかった。
それが右肩に触れるいつもの体温がないせいだって、わかってる。
でも気づいてもどうしようもなくて、私はソファから立ち上がり、
クッションをひとつ手にして壁にもたれて腰掛けた。
しんと静まり返った部屋がいたたまれなくて、
普段はあまり見ることもないテレビをつけてみる。
それでも寂しさを紛らわせることは出来なくて、すぐに消した。
「……はぁ……」
壁にかけられた時計を見上げ、思わず溜息が出る。
彼から伝えられた帰宅時間は、11時。今は、8時半。
2時間半もの時間を、彼のいないこの部屋で、一体どう過ごせばいいのかわからない。
(いつも、どうしてたっけ?)
手近に転がった雑誌や、ラックの中に並んだDVD。
いつもはふたりで見ているはずのそれらにも、今は興味が持てない。
鞄の中から読みかけの本を取り出して読み始めてみたけれど、それも続かなかった。
時計の針は、遅々として進まない。
「……同窓会、か……」
適当に切り上げて帰ってくるから、と言った彼を説き伏せて、
久し振りなんだから心行くまで過ごしてくるといい、
そう笑ったのは私のほうだった。
20年以上もそれぞれ別の人生を歩んできたんだから、
お互いの知らない時間を、人間関係を持っているのなんて当たり前だ。
それは普段は忘れているけれど、こういうときに思い知る。
私の知らない彼を知っている誰かが、たくさん存在する。
……きっと、その中には女のひともいる。
当たり前のことなのに、それは私の胸をきゅうと締め付けた。
そんな私の隠し切れなかった寂しさや不安を見破ったのか、
彼は、私にここで待っていて欲しいと、そう言ってくれた。
絶対に帰るから。
だから、何一つ心配しなくていいと。
「……よし」
寂しさを振り払って、顔を上げる。
いじけた顔をした私に出迎えられることを、きっと彼は望まない。
壁に立てかけられた鏡ににじり寄って、口角を上げた。
いつもの笑顔の私。彼が好きだといってくれる、私。
もう一度テレビをつけて、チャンネルを昔見た映画に合わせる。
始まったばかりのストーリー、その会話をBGMに、キッチンに立つ。
やかんを火にかけ、コーヒーは私じゃうまく淹れられないからと
いつだったか持ち込んだ紅茶を淹れて。
香り立つマグカップを手に腰掛けたソファは、今度はちゃんと暖かかった。
《10月20日 同窓会の日》
8:
展望デッキから飛び去る飛行機を眺めるのも、もう何度目だろうか。
そして、見えやしないとわかっている飛行機の窓を見つめて、にっこり微笑んで手を振るのも。
飛行機の形がわからなくなってただの光の点になって、
そこでようやくぼくは手を下ろして、目を伏せふうと大きく息を吐く。
何度繰り返しても慣れない寂しさが、どうしようもなく付きまとう。
最後に握った手が、まだ暖かい。
でもこの手も、すぐに冷えていってしまう。
あいつの肌にぼくが刻んだぼくのシルシも、時間が経てば消えてしまう。
いい虫除けになるとふてぶてしく笑うようになったのも最近の話で、
はじめは真っ赤になって咎められた、そんなことももう笑い話だ。
もう一度、空を見上げる。
端が茜色に染まり始めた空。
そのどこにも、さっきまで見えていた光の点は見当たらなかった。
気づけば手のぬくもりもすでにない。
さっきまで一緒だったのが、嘘みたいに寒くて、孤独だった。
この手も、すぐに触れられ何度でも温もりを分け合える距離にあればいい。
そして毎日のようにシルシを刻み続けていたい。
その嫉妬深さや独占欲の強さに呆れられたっていい。
それだけ好きで好きで、もう何年も好きで。
ようやく腕の中に収まったと思ったら、すぐにその姿は世界のどこかに消えていく。
心がつながっても、寂しいという気持ちだけはどうしたって消せない。
あいつはいつか、ぼくのためだけに空を飛んできてくれたけど、
ぼくにはあいつと同じことは出来ない。
正規の手段で、やきもきしながらキャンセルを待って。チケットを買って。
搭乗時間を待つ間の時計の針の進みを恨めしげに眺めて。
知らない誰かの隣に座って、漫然と十数時間もの時が過ぎるのを待って。
……いや、それも、案外悪くないのかもしれない。
火急の用。それこそ、あいつの身に何かがあっただなんてことでさえなければ、
それは心はずむ時間のようにも思える。
待つ時間だって移動時間だって、なんだって距離のある恋愛をする上での醍醐味だ。
いつか内緒であいつのところへ行って、驚かせてやりたい。
そんな乙女じみた思考にちょっと苦笑する。
……だからぼくは、いつまでたってもあいつに勝てないんだろうな。
新しい飛行機が空を飛ぶのを見送りながら、
既に藍色に染まった空を見上げて、今度は微笑みながら大きく息を吐いた。
《10月25日 民間航空記念日》
9:
※4ネタ注意
日も西に傾きだした頃に目を覚まして、のっそりと起き上がりコーヒーを淹れる。
既にこんな生活ももう何年目か、すっかり慣れ親しんでいる自分に苦笑した。
そろそろ、もうすこし起きる時間を早くしておいたほうがいいかな。
そんなことを考えてみるけど、どうかな、出来る気がしない。
窓にかかったブラインドの隙間から、午後の日差しに照らされた町を見下ろす。
忙しなく行きかう人並みの間に、飛び跳ねるように走る制服姿を見つけた。
彼女の真新しい制服もだいぶ見慣れてきて、
可愛い我が子がどんどん大人になっていく姿を見守りつつ暮らす日々ってのは
なかなかに楽しいものだな、ということを、このところ妙に実感していたり。
日々が忙しなく過ぎていくばかりだったかつてのことを思うと、
随分とぼくも余裕が出てきて、パパらしくなってきたのかなって思ったりする。
……まあ、たぶん、気のせいなんだけども。
いつの間にかそのちいさな姿は視界から消え、かわりにカンカンと階段を上がる音。
そして、がちゃん、と、ドアが開いた。
「おはようパパ、ただいま!」
「うん、おかえり、みぬき」
ショートカットを揺らしたみぬきのひまわりみたいなニコニコ笑顔に
目を細めて返すと、残ったコーヒーをぐっと飲み干した。
「なんか、今日は嬉しそうだね、いつもに増して」
「え、そうかなー、わかる?」
「わかるさ」
笑顔だけじゃない。全身から嬉しさをほとばしらせている様は、
まるでちいさなコドモだったときみたいだ。
「あのね、パパ……びっくりしないでね?」
少しだけ照れくさそうに下を向いた彼女の様子に、少しばかり不安がよぎる。
……まさか、何か。
こう、オトナの階段的なものを登ってしまったのではないだろうか、なんて。
そりゃ、ぼくとみぬきは密な親子関係を築いてきたと思ってるし、
なんでも隠さないで教えて欲しい、ってことも、ちゃんと話してあるけれど。
まさかまさか。だって、目の前にいるみぬきは、成長したといってもやっぱりコドモだ。
……でも、考えすぎだとしたらかっこ悪いことこの上ない。
なんとかポーカーフェイスで押し隠して先を促すと、みぬきはこほんとひとつ咳払いをして、顔を上げた。
「えっと、みぬきね、B……」
「び、B!?」
想像外の言葉に、思わず声が裏返る。
え、あれでしょ?ABCのBとかって、あれだよね?
いやいやまだ中1だぞ、Bとかありえないから!
完全に取り乱したぼくに、みぬきが追い討ちをかける。
「そう、Bだったの」
「!?」
今度こそ、ぼくは崩れ落ちた。
いつかは来る日だってわかってたけど。
でも、まだまだ先だと思ってた。まだまだコドモの彼女を見守りつつ、
巣立っていく日のためにゆっくり心の準備をしようと、そう考えていた矢先だった。
どこの馬の骨が、うちのかわいいみぬきに、あんなことやこんなことを……!
「そうなの、みぬき、びっくりしちゃって。だから、新しい下着が欲しいなって……あれ?パパ、どうしたの?」
きょとんと首を傾げたみぬきに見下ろされて、ようやくぼくは冷静さを取り戻した。
その後、有無を言わさず下着売り場に連れて行かれる羽目になって。
自分の勘違いをいたく恥じ入ったり、改めて思わぬ成長に驚いたり。
でもやっぱりまだまだコドモだと、そう思いたかったり。
おとうさん5年生は、なかなか複雑……っていう話。
《10月28日 ABCの日》
10:
※4ネタ注意
「……ナニ、その手」
「今日が何の日かわかってるかい?刑事くん」
差し出された手を横目に溜息をつくと、いけ好かないアイツがふん、と鼻を鳴らした。
「今日はハロウィンだよ」
「ああ、そう?アタシ生粋の日本人だからね、よくわからないなあ」
本当はわかっていて、わざとすっとぼける。
向こうだって、アタシが留学してたってことくらいとっくにご存知のはずだ。
「そんなくだらない話だったら、帰りたいんだけど?」
今アタシの手の中には、たった今この目の前の男から貰った資料がある。
過去の類似事件の資料。きっと今回の事件で役に立つからと、
わざわざ電話をよこしてくれたのだ。こっちだって暇じゃないんだし、
それはコイツだって同じだろう。誰かに届けさせればいいのに。
「……すっとぼけないで欲しいな、刑事くん」
あ、見逃してくれてたと思ったけど、ダメだったか。
「何よ」
唇を尖らせて、睨んでみる。
おかしそうに笑ったコイツは、もう一度あたしの目の前に手を差し出した。
「お菓子。くれないの?持ってるでしょ?」
「……持ってるわよ?けど、アンタにあげる義理はないわ」
「それは悪戯してもいいってこと?」
「は!?んな訳ないでしょう、バカじゃないの?」
にやにやと笑うバカ野郎の頭を軽く叩いて、踵を返した。
直属じゃないにしろ、上司の頭を叩くなんて懲罰モノだ。
でも、こいつは絶対に笑って許してくれる。そう思ってるから、つい手も出てしまう。
かつん、と一歩足を進めたところで、ハンドバッグの肩紐を軽く掴まれる。
振り返って睨みつけると、やっぱりソイツはニヤニヤ笑っていた。
「何すんのよ!」
「ん?お菓子をくれなかったから。悪戯」
「……コドモじゃあるまいし」
溜息が出る。軽く頭を振ってもう一度歩き出すと、今度は肩を掴まれた。
「ちょっと!」
「じゃ、オトナの悪戯でもいいの?」
肩を掴んだ手に、ぐっと引き寄せられる。
バランスを崩しかけて、すんでのところで留まった。
「アンタ、何考えて…!」
「どうせ悪戯なんて許してくれないだろ?だから、お菓子を頂戴って言ったんだけどな」
いつの間にか、腕が身体に回されている。
まるで抱き締められてるみたいな体勢だけど、
そんなこと、絶対に認めたくない。
なんでこんなヤツに、こんなふうにされなきゃいけないの?
「じゃ、持ってけばいいじゃない、この中に入ってるんだから……」
鞄を掲げてみたけど、やんわりと押し戻される。
「いや、もう遅いかな」
不埒にも力を増してきた手が、どうしても振り解けない。体が動かない。
期待したわけじゃない。
こんなヤツって、今だって本気で思ってる。
……なのにどうして、アタシは。
このいけ好かない男の腕の中で、されるがままになってるのかしらね?
《10月31日 ハロウィン》