01:授業中、無言の攻防戦
ポケットに突っ込んでいる携帯がブブブと振動すると同時に、びくりと体が跳ねた。
前には教師、後ろにハルヒ。どちらも、見つかったら別の意味で厄介だ。
俺は両者のスキをついて携帯を取り出し机の中に突っ込むと、さらにこそこそと画面を開いた。今どっかの誰かさんが俺を見たら、まっとうな人間からこそこそなんて擬音が出るわけないとか言うんだろうな。
教師やらハルヒやらに見つかるデメリットを考えれば、授業中にチェックする必要は皆無だ。授業が終わってから廊下ででも携帯を開けばいい。
しかしだ。可能性が薄くとも、万が一それがマイエンジェル朝比奈さんからの連絡だったとしたら俺はそれを数分たりとも放置しておくわけには行かない、断じて!
さて、端的に結果をお伝えしよう。
覗き込んだ液晶に浮かんでいる送信者の名前は、朝比奈さんのものではなかった。
「古泉」の古の字を見た瞬間に携帯を閉じたくなったが、ハルヒ絡みの何かだとしたら面倒だ。一応確認しておくことにしようか。
そんなことを考えながら決定ボタンを押した俺は、心の底から後悔した。
件名:大した事ではないのですが
内容:教室内に蝉が乱入してきました。夏ですね。
マジで大した事ねえな。なんだこれは。つうかアイツは何をしているんだ。特進クラスのくせに授業中にこっそりメールか。おめでてーな。俺と何を深めたいというのだ。友情か?友情なのか?
誓って言うが、一応友情を交わしていると思われる谷口や国木田相手でも俺はこんなことをした覚えはない。同じクラスにいるのだから、もし授業中に何かがあったとしても休み時間に話をすれば済む事だ。大体そのほうが面倒がない。まあ、女子は時々やってるみたいだがな。
俺は携帯を再びこっそりとポケットにしまうとさして聞きたくもない授業に耳を傾けることにして、すぐにそれにも挫折した。慣れないことはするもんじゃないね。
教師が滔々と語る構文の解説が、右耳から左耳へすっぽ抜けてく。
全開になった窓の外からは、ミンミンとやかましい蝉の声。ああそりゃあ血迷った蝉の1匹や2匹、教室に入り込んできてもおかしくはないわな。ハルヒが望まなくたって十二分にありうることだ。
俺は何の気なしに、もう一度ポケットから携帯を取り出して開く。
さらに何の気なしにメール画面を開く。と同時に、更なるメールが届いた。
件名:女生徒が大騒ぎです
内容:しばらく授業どころではありません。ですが、これがあなたのクラスでなくて幸いだったかもしれません。
そうだな。ハルヒがそんな光景を目にしたらどうなるのかなんて想像するのは容易い。どうせ俺が捕まえる羽目になるんだろうよ。そして教師に怒られるのも俺だ。どれだけ貧乏くじを引けば気が済むんだ、やれやれ。
想像上の俺自身の不憫さに溜息をつく。幸せが逃げる?そんなのは知ったことか。
しかし、と俺は窓の外の青空を見上げる。
返信もないのにもう1通って、どんだけ暇なんだあいつは。俺が返信するまで送ってくる気か。まかり間違って返信なんかした日には、間違いなく当社比3割増のニヤケ面で俺の前に現れるだろう。賭けたっていい。
俺は携帯をサイレントモードに切り替えると、ポケットに突っ込んでもう一度溜息をついた。
もうメールが来てもわからんぜ、ざまあみろ古泉。
ぼんやりと壁の時計を眺めた。授業が終わるまで、あと5分。
その間、古泉からのメールは来るんだろうか?
無意識のうちに俺の手がポケットの上から携帯に触れ、そして離れた。
もし同じクラスだったら、休み時間に話してやることもやぶさかじゃないんだがな。
普通クラスの俺と、特進クラスの古泉。
クラス替えを何度したって、同じクラスになることはない。
あるいはハルヒが望めばその可能性はあるのだろうが、今の古泉がハルヒの望んだ姿である以上その線はないだろう。物腰柔らかな謎の転校生にして眉目秀麗、有智高才。これが涼宮ハルヒのためにここにいる古泉一樹のかたちだ。
そう思うと、あいつの人生も難儀なもんだな。
メールの1通や2通、返してやっても罰は当たらんかもしれん。
こんな気紛れがたまにはあったっていいだろ。後が面倒かもしれないが、それはそれだ。
多分あいつにとって、俺が一番親しいヤローなんだろうしな。
いいタイミングでチャイムが鳴った。
俺はハルヒが教室を飛び出していくのを横目に、ポケットから携帯を引っ張り出す。
メール着信は、ゼロ。三度溜息が漏れる。しかし、これは一体どんな意味の溜息なんだ?
不可解な思考を無視して、さっきのメールから返信画面を開く。
件名:Re:女生徒が大騒ぎです
内容:まだ蝉いるのか?
返信してやったのは、単なる気紛れに過ぎない。
疑問文で返したのは、単純に哀れな蝉の末路が気になったから。ただそれだけだ。
間違っても、返事が欲しいからではない。
どうかそのあたりは勘違いしないでもらいたいもんだね、古泉よ。
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