「時々心ここにあらずって顔するな、シーナは」
「……そうか?」
「ああ」
「そういう私は嫌いか」
「いや」

好きだぜ、と覆い被さる男の肩に、そっと手をかける。
今から、いくつもの爪痕をつけるために。

 

私は上手く誤魔化せているのだろうか。

 

ONE LIFE

 

シャワーを浴びるためにベッドを出る私を、彼はにっこり笑って送り出してくれた。
ひとりで姿見の前に立ち、ホテル備え付けのバスローブをざっと脱ぎ捨てる。
つい今しがたつけられた、噛み跡にも似た紅い印を鎖骨周りに認めると、溜息がこぼれた。これ
では服で隠せない。
「ダメって言ってるのにね」
ふふふ、と笑いがこみ上げてくるのを、懸命に噛み殺す。
ドア一枚隔てているとは言え、聞こえてしまってはいろいろと面倒だ。
「……はーあ」
シャワールームでコックを捻り、温かい湯を浴びながら、『シーナ』らしくない溜息をつく。
ざあ、という湯の音にかき消されてきっと誰にも聞こえない。私以外には。

湯に濡れた髪を掻き分け、メイクの落ちた顔で、飛沫の散る鏡を覗き込む。湯気と水しぶきでまともに見えないけれど、それでもよかった。
この顔を彼に見せることは、きっと一生叶わないだろう。
それが私の選んだ道だから。
戻ることも、立ち止まることも許されない。そして、歩む方向を変えることも。

 


メイクを直し、ローブを着込んでベッドへ戻ると、すでに彼は静かな寝息を立てていた。

薄暗い部屋の中、サイドボードの灯りが眩しい。
そして、その脇で眠る彼が、まぶしい。

どうしてこんなにまぶしい男が、私のことを好きだと言うのだろう。
私のことを、側に置いているのだろう。

私は、堂々と貴方の横にいられるような女じゃないのに。


「バカね」

ぽつりと呟いてあちこち跳ねている固めの髪を撫でると、彼が少しだけ身じろぎして薄く目を開けた。
「んあ」
「悪い、起こした」
「んにゃ、こっちこそ寝ちまって悪かった。起きてるつもりだったんだがなあ」
ゆるゆると上がった腕ががしがしと頭を掻いて、それから私の腕を掴みベッドに引き込んだ。
「もう寝ろ、明日も早いぞ」
「わかった」
答えると、先の言葉とは裏腹に腕が伸びてきて私の身体を絡め取る。
「ロウ」
咎めるように呼びかけると、「そうじゃねえ」と否定の言葉が返ってきた。
「こうしてるほうが、よく寝れる」
「……そうか。おやすみ」
「ああ。おやすみ、シーナ」
ぎゅうぎゅうと抱きこむ腕は少し窮屈で、それでも抜け出そうという気にはなれない。
そして言葉通り、1分も経たないうちに規則正しい寝息が聞こえてきた。

こんなに甘いシチュエーションの真っ只中にいるのに、
幸せだなんていう気持ちには微塵もなれなかった。

 

本当の私では、貴方に触ることも叶わないのに。

 

サイドボードに飾られた芥子の花だけが、静かにそっと揺れていた。


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