God knows...
扉を開けるや否や現れた見慣れているはずの見慣れない風体の男を、私は力一杯殴り飛ばした。
「…な、どうしたんだよ…」
「それは私の台詞だ」
尻餅を付いて頬を押さえる成歩堂を見下ろして、震える拳を握りこむ。
こんな程度では足りない。どんな思いで私がこの国へ戻ってきたのか、嫌と言うほど知らしめなければ気が済まなかった。
「キサマ、何故言わなかった!」
襟元を掴んで容赦なく揺さぶる。成歩堂は何も言わない。
昏く沈んだ瞳には、私の知っている光はカケラも見つけることができなかった。それは、確かに2ヶ月前までこの男に満ち溢れていたはずだったのに。
手を離すと、どさりと成歩堂の身体が崩れ落ちる。げほげほと咳き込む声が聞こえたが手を貸す気にはなれない。
荒れ放題になっている事務所を見回す。以前から雑然としていたものの、ここまで酷くはなかった。
「これでは、綾里弁護士や真宵くんに合わせる顔がない」
「……」
「冤罪なのだろう?しかるべき手段を取って、戦うべきだ。私も力になる」
「…あのさ。御剣」
俯いたままの成歩堂が、ぺ、と床に血の交じった唾を吐き捨てた。
「何かできるのかよ。おまえに」
光のない瞳で見据えられて、息が詰まった。
「……」
「できないだろう?」
自嘲気味に笑う。やめてくれ。
「検事のおまえに、捏造弁護士の汚名を晴らすなんてこと、できるわけないよな」
「やめろ!」
歪んだ唇をこれ以上見たくなくて、私は再び拳を振り上げた。
何とか探し出したくしゃくしゃのタオルを冷水に浸し、投げて寄越した。成歩堂は片手で器用にキャッチすると、腫れた頬にぺたりと押し当てる。しばらく無言のまま、お互い目も合わさずに呆と座り込んでいた。
先に口を開いたのは、意外にも成歩堂のほうだった。
「…あの時さ」
「ああ」
それがいつなのかは、聞かなくても分かった。
「ぼくがおまえを助けることができたのは、ぼくが弁護士だったからだよ。逆の立場になったからって、おまえがぼくを助けられるわけじゃないんだ」
「それでも、私は…」
「おまえだって黒い噂が纏わり付いてた身だろう?ぼくを庇ってみろ、一瞬で共倒れだ」
「そんなことを気にして、黙っていたというのか」
「……」
成歩堂の唇が、また歪めた笑みを形作る。
この表情を見るたびに心が乾いてゆく気がした。
できれば、この男のこんな顔は一生見たくなかった。
あの時の成歩堂は、今の私と同じような気持ちだったのだろうか。
目を逸らしたままの成歩堂が、ぽつりと呟く。
「…ぼくなら大丈夫だ」
そんな顔をして、大丈夫も何もないだろう。
「だからおまえは、ぼくの知ってるいつもの嫌味なほど自信満々な天才・御剣怜侍でいてくれ。そうでなければぼくは嫌だ」
「…それは」
私の台詞だ。
今日二度目の台詞は、私自身の喉から漏れる嗚咽にかき消された。
この男はどうしてこうなのだ。
猪突猛進。自分の身を投げ打って誰かが助かるのなら、誰かを守れるのなら、それでいいと本気で思っている。
…自分自身が一番辛いはずのこんな時でさえ。
「泣くなよ」
だからおまえには言いたくなかったんだと、諌めるように背中を叩かれる。
その声音も触れる手も以前のそれと何一つ変わらなくて、そのことがまた私の胸を苦しいほどに締め付けた。
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