16 僕等の革命


 御剣の出発を明日に控えた夕方、ぼくは御剣に電話をかけた。これからしばらく会えないのなら、今晩は一緒に食事でもどうか、と。
 その言葉を聴いた御剣が一瞬、電話の向こうで息をつめたのが聞こえた。そして、こほんとひとつ咳払い。
 長い長い沈黙のあとに、ようやく小さな声で肯定の言葉が返ってきた。

 指定されたのは、空港近くのホテルのレストラン。なんでも、出発が早朝だから既に出発の支度を済ませて今夜はそこで泊まるんだとか。
 ロビーで待ち合わせる約束を取り交わして、ぼくは電話を切った。


 さっきまでぼくは、後ろめたいことなんかぜんぜん考えてなかった。本当だ。神様にだって誓える。

 携帯を手にしたまま天を仰いで、たった今さっきの御剣の様子を思い出す。
 食事をしようだとか飲みに行こうだとか、そういう誘いのときにあんなふうに戸惑ったりなんかしない。そんなのは友達だった頃から何度も繰り返されてきたことだ。
 戸惑うのはきっと、ぼくの誘いが言外の意味を持って御剣に届いてしまったから。そのことに気づいて赤面する。
 うわあだってついこの間やっと想いを伝え合えて、いきなりそんな展開ってそれ、アリなんだろうか。
 でもぼくらはもういい大人だ。恋愛関係にあってしかも離れ離れになる前夜、一緒に食事だけしてじゃあまた1年後に会おう、だなんて、よく考えたらその方が不自然だ。
 別に、御剣とそういうことをするのがイヤだとか、想像だにしなかったとか、そういうわけじゃない。ぼくだって健全な成人男性だ。そういう欲だってもちろんあるし、なんともならないときは想像の中で御剣に登場願ったりもする。

 …しちゃって、いいんだろうか。
 ごくりと喉が鳴る。
 今夜をのがしたら、次に会うのはほぼ間違いなく1年後だ。

 覚悟を決めろ成歩堂龍一。きっと、今がそのときなんだ。

「…よし、行こう」

 ぱちんと両手で頬を叩き、自分自身を奮い立たせる。
 椅子に引っ掛けていた上着を羽織ると、ぼくは夕暮れの事務所を後にした。

 


 駅を出たところで買ったペットボトルをごくごく飲みながら、ゆっくり歩く。
 いきなり後ろから肩をたたかれて、ぼくの心臓がどくんと跳ねた。

「行儀が悪いぞ、成歩堂」
「御剣」
 じろりと睨まれて、しぶしぶペットボトルに蓋をして片手に提げた。
 そのまま二人並んで、既に日も暮れた道を歩く。

「ロビーで待っててくれれば良かったのに」
「別にきみを迎えに出てきたわけではない。私も用があって出てきただけだ」
「そっか」

 数分で豪奢なエントランスが見えてきて、今更のように緊張する。
 ふと腕時計を見た。

 あと12時間で、飛行機が出る。

 

「…さて、どうしようか」
 ホテルの案内を眺めながら、御剣が腕を組む。日本料理中国料理、バイキングレストランにバー、居酒屋。
「日本料理にしようよ。しばらく食べれないでしょ」
「それはあり難いが…きみはそれでいいのか」
「勿論」
 にっこりと微笑むと、御剣も笑った。


 通された部屋は個室で、ぼくは気兼ねなく足を崩して(御剣はきっちり正座をくずさなかった、こういうところで性格とか育ちとかが出るのかも知れない)コース料理を堪能した。
 箸を進めながら、他愛のない会話を交わす。ぼくの考えすぎなんだろうかと思ってしまうほど、御剣はいつもどおりだった。
 …もしかしたら、必死にそう振舞っていただけなのかもしれない。


 デザートのゆずシャーベットをしゃりしゃりと食んでいると、ぽつりと御剣が口を開いた。
「きみは、これからどうする」
 来た。
 いざとなるとやっぱり照れが先立って、素直な言葉が出てこない。
「食べたら帰れって言うなら、帰るけど」
「…そんな言い方は、狡い」

 俯いた御剣のさらりと流れる髪を、ぼんやりと眺める。
 なんだかとても悪いことを言ってしまったようで、心が痛んだ。

「ごめん」
「……」
 よ、と立ち上がって、正面に座る御剣の横へしゃがみこんだ。
 ひざの上で握り締められていた御剣の両手を、そっと包むように握る。

「一緒にいようよ」
「いつまで」
「いつまでも」
「それは無理だ」
「…うん」

 こうべを垂れたまま動かない御剣の背中を、よしよしと撫でる。

「明日の朝、御剣が搭乗口に入るまでは一緒にいるよ」
「仕事はいいのか」
「真宵ちゃんに連絡しとくよ。ちょっと遅れるって」
 言うなりぼくは携帯を取り出して、かちかちとメールを打った。明日は用事が出来ちゃって、ちょっと遅れる。ごめんね。
 送信して程なく来た返事は、「あんまり遅くならないでね」のひとこと。
 その画面を御剣に見せると、ようやく少しだけ表情が緩んだ。

 

 

「……」
「……」

 ぼくと御剣は、二つ並んで鎮座したベッドに向かい合って腰掛けていた。
 なんとも気まずい。覚悟は決まってるはずなのに、どう動いていいのかわからない。
 御剣は、貝のように口をつぐんだまま動こうとしない。ぼくまで凍っていては、このままの姿勢で朝を迎えてしまうだろう。

「あのさ」
「…!」
 びく、と御剣が肩を振るわせる。

「キスしていい?」
「…構わない」

 立ち上がって、御剣の腰掛けるベッドに手を突く。きし、と音を立ててスプリングが軋んだ。

 まだ何度目かのキス。ほんの一瞬触れただけでゆっくり身体を離した。
 足りない。これじゃ足りない。

「…もっと」

 突き動かされるままに唇が動く。もっとしていいか、という問いかけなのか、もっとしたいという願望だったのか。自分でも分からない。
 でも、御剣は神妙な顔でうなずいてくれた。
 頬をそっと撫でてキスを落とすと、ゆっくりとベッドに横たえる。


「…だいすき、御剣」
 言いながら、ぎゅっと抱きしめる。
 言葉こそ返っては来なかったけれど、背中に回った手がぼくにすべてを伝えた。


 今からぼくらがすることは、きっと大きな革命になるだろう。

 

 

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