17 僕等は無敵に恋をする


 色々と無茶をしてしまった分起きられるかどうかが心配だったのだけれど、どうやらそれは杞憂だったみたいだ。
 昨夜セットしたアラームが鳴り響くよりも前に、ぼくは目を覚ました。
 隣で眠っていたはずの御剣はいない。かわりに、シャワーの音が聞こえてくる。
 ボーっとしたまま身体を起こして、ぐるりと部屋を眺める。遮光カーテンのおかげで外が暗いのか明るいのかは分からない。
 ベッドサイドに手を伸ばして携帯を手に取る。時間を確認すると、ようやく太陽が昇り始める頃だった。

 並んだ二つのシングルベッド。シーツが乱れているのは片方だけで、それが否応なしに昨夜のことを思い出させてなんとも気恥ずかしい思いに駆られる。
 頭をかきながらよいしょと立ち上がると、清潔なシーツを不自然じゃない程度にぐしゃぐしゃとかき乱した。
 立ち上がったついでに、窓辺まで足を伸ばしてカーテンを開ける。ちょうど昇ってきていた朝日を目を細めて眺めた。

 世界のどこでも同じように、太陽は昇る。
 そう思えば、これから先の長い時間もきっと頑張っていけそうな気がした。

 

 


「大丈夫?忘れ物ない?」
「きみは私の母親か」
 まだ早朝なのに、空港の出国ロビーは早くもざわついた空気に包まれていた。
 小さめのトランクをひとつさげただけの御剣は(大抵の荷物は既に航空便で送ってしまったらしい。その辺ソツがないというかなんというか)呆れたように溜息をついた。

 出国ロビーの真ん中にどんと設置されたモニタを眺めた。ベルリン着、9:30。御剣との時間は、あと1時間半しかない。
「よく出発2時間前には到着するように、って聞くけど、なんで?」
「搭乗手続きがその時間から始まるからだ。30分前で締め切られるから、あと1時間しかない」
「1時間もある、と思おうよ」
 心にもない言葉を無理やり口に出した。ぼくだって「あと1時間しかない」って思ってる。それでもそうとでも言わなければ、離れたくない気持ちに歯止めがかからなくなりそうで怖かった。

「元気でね」
「…ああ」
「無理しすぎないようにね」
「きみは無茶をしないように」
 お互いに顔を見合わせて笑う。通りがかった人がぼくらを見たら、友達同士の別れに見えるだろうか。

 ぼくはふと思い立って、御剣の手をとった。
「ね。場所変えよう」

 

 

 案内板の影で、通路の手すりにもたれて窓の外を見る。
「飛行機、見えないね」
「方向が違うからな。このフロアでは出国ゲートを通らないと見えない」
 飛行機が見たかったのか、と問われてぼくは首をふった。
「どこから御剣のことを見送ったらいいのかな、って思って」
「5Fにデッキがある」
 その言葉に案内板を見上げると、「展望デッキ」という文字が目に入った。

 時計を眺める。あと30分。
 ぼくと御剣は並んで手すりにもたれたまま、ずっと無言で外を見ていた。
 あまり使われない通路なのか、さっきから驚くほど誰も通らない。

「…ね、御剣」
「どうした」
「キスしていい?」
「断わ…むッ!」

 誰もいないことを確認して、唇を奪う。
 上下の唇を食むようにちゅっと吸ってから唇を離すと、御剣がわなわなと身体を震わせていた。
「…きみという奴は…」
「だいじょうぶ、誰も見てないよ」
「そういう問題ではない」
 思い出してしまう。そうちいさくつぶやいた声を、ぼくは聞き逃さなかった。

「昨夜のこと?」
「!」
 ぼくは真っ赤になった御剣の頭を撫でて、そのまま肩を抱き寄せた。
「…ありがとう」
「何がだ」
「すごい、幸せだった」
「勝手に過去形にするな」
「そうだね」

 長い人生のうちの、たかだか1年会えないだけだ。
 15年も会えないでいたことを思えば、ぜんぜんたいしたことじゃない。きっと。

「…幸せだよ。今も、これからもずっと」
 肩を抱く手に、そっと力をこめる。
「同感だ」

 ぼくの手にそっと触れた指先の熱と感触を、しっかりと心に刻み込んだ。

 

 

 

 離陸時間ちょうどにふわりと宙に浮いた飛行機を、人影まばらな展望デッキで見送る。

「…上出来、かな」
 御剣がなるべく後ろ髪引かれずに旅立てるようにしようと思った。
 きっと、ぼくはうまく出来ただろう。最後まで笑って見送ることが出来た。

 空高くのぼってゆく飛行機は、既に光を反射するちいさな点でしかない。
 そのきらきら光る点を見ながら、さっき触れ合った指先を、昨夜抱きしめた熱を思い出す。
「…うん」
 大丈夫。やっていける。


 御剣のことが好き。御剣も、ぼくのことが好き。
 それだけ間違わないでいられるなら、距離なんてたいした敵じゃない。

 心から、そう思えた。

 

 

 

 



 特急から降りると、急ぎ足で事務所への道を歩く。
 そういえば、と思い出して、空港に入るときに切ったままだった携帯の電源を入れた。ポケットに突っ込んで歩いていると、数分もしないうちにメールの着信を知らせるメロディーが鳴り響く。
「真宵ちゃんか」
 どうせ、遅い!とかそんな文句だったりするんだろう。もうすぐ着くのにと思いながら着信メールを確認して、ぼくは息を飲んだ。


「はみちゃんがどこにもいないの!どうしよう」

 

 

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