19 私はあなたを見つけた


「…俺から話してもいいか」
「はい」
 数分の沈黙の後、口火を切ったのはセンパイだった。
 頬杖を付いた口元が、ふ、と緩む。
「すまなかったな。ひとりにしちまって」
 昔のままのやさしい声。
 瞳はゴーグルに覆われて見えないけれど、きっと私の知っているやさしい顔をしているはずだ。
 そう思うと本当に切なくて、胸の奥が痛んだ。

「…私も、ごめんなさい…あなたが目を覚ますのを、迎えてあげることが出来なかった」
「いや、チヒロが死んじまったのはチヒロのせいじゃないさ」
 センパイはそこで言葉を切ると、頭を下げた。

「…守ってやることが出来なかった、俺のせいだ。すまない」

 そう言われることはわかっていた。
 だから、会いたくなかった。
 このやさしいひとが、これ以上自責の念に苦しむのを見たくなかった。
 毒を飲まされて眠ったのも、私が死んだのも、センパイのせいじゃない。
 私は、こみ上げてくる涙を必死にこらえて首を振った。
「センパイのせいじゃ、ありません」
「いや、俺のせいだ」
「…違います…貴方のせいじゃ、な…」
 こらえ切れなくなった私の喉が、僅かにひく、と鳴る。
 少しだけ、センパイが笑ったように見えた。

「…泣いてもいいぜ、チヒロ。今日が"最後"だ」
「…っ、ふ…」

 言葉に促されて、ぼろぼろと涙がこぼれる。もっと言いたいことがあるのに、言葉が出てこない。
 センパイが私のほうへ指先を伸ばすのが見えた。でもガラスに阻まれて触れることは出来ない。

 男が泣くのは、全てを終えたときだけ。それがセンパイの口癖だった。

 ならばあの日法廷で涙を流したこのひとは、もう全てを終えてしまったんだろうか。
 全てを終えて、もう生きる理由さえなくしてしまったのではないだろうか。
 そう考えると、たまらなく苦しかった。

「センパイ、約束…して」
 子供みたいにひくひくとしゃくりあげながら、センパイを見つめた。
「なんだ」
「…私の分まで、生きてください。ちゃんと、生きてください…」

 滲む視界が勾玉をとらえる。
 これを託そうと決めたときよりもずっと強く、私はセンパイに生きて欲しかった。

「このポンコツぶりじゃ、先は長くないからな。約束は出来ねぇ」
「大丈夫、です…それがあれば」
 センパイは、私の指差した勾玉を手に取って眺めると、不思議そうに首をかしげた。
「長生きできるお守り、ってワケかい?」
「いいえ」
 ゆっくりと首を振る。
「それ以上、です」
 だってそれは、私の命そのものだから。

「だから、生きて…」
「…ああ、わかった」
 コネコちゃんにはかなわねえ。そう呟くと、降参とばかりにセンパイは両手を挙げた。
「だから、そんなに心配するな」
「…で、も…」
「俺は大丈夫だ。おまえが心配するようなことは、何もない」
 ゆっくりと、諭すような声音。きっとゴーグルの奥の瞳はまっすぐに私を見てくれているのだろう。
「…はい」
 見抜かれていたんだろうか。
 ごしごしと涙を拭う。そんな私を見て、センパイがまた少し笑った。


 思えば、私はずっと肩肘を張って来たのかもしれない。
 母の仇。センパイの仇。
 自分のために、誰かの代わりに、頑張らなきゃと思って生きてきた。
 でもそれも、もう終わりだ。


 私の役目は今度こそ、本当にすべて終わった。


 一瞬だけ、意識が途切れた。はみちゃんの力が弱まってきているのが分かる。
 壁にかかった時計を見ると、私がここへ来てからもう1時間近くが経過していた。

「…私、もう行かないと」
「そうかい」
「ええ…これで、お別れです」
「ああ、そうだな…」
 少しでも近付きたくて、ガラス板に肩を寄せた。
 てのひらを冷たい板に押し付けると、センパイが向こう側から同じようにてのひらを押し当ててきた。
「センパイ」
「どうした」
「貴方が私のいる場所に来る時は、どれだけ離れていても、どれだけ貴方が変わっていても、絶対に見つけて会いに行きます」
「…おっと、コネコちゃん」
 センパイの口元が、にやりと笑みの形を作る。きっと、ゴーグルの下では片目を眇めているのだろう。
「そういうのは、男に言わせる台詞だぜ…まあ、アンタらしいといえばらしいがな」
「そういうものですか」
「ああ。だから俺からも言わせてくれ」
 笑っていた口元をきゅっと引き締めて、センパイは私の耳元へ口を寄せた。

「チヒロが俺を探し出すより先に、俺がチヒロを探しに行ってやるさ」
「…じゃあ、競争ですね」
「ああ」
 くすぐったさに身をすくめる。
 これが最後だなんて、嘘みたいだ。


「…顔、見せてください。最後に」
「ああ、いいぜ」
 こめかみに手をかけると、センパイはゴーグルを取ってごとりと机に置いた。
「これでいいかい?コネコちゃん」
「…もう、コネコじゃありません」
「…そうだな。悪かった」
 くっ、と、喉元で笑う声。
 見上げたら、センパイの瞳の中に頬を膨らませた私が映っていた。

 やわらかい声。細められたやさしい瞳。
 からかうように少し上がった口の端。

 

 それらは全てあの頃と同じ。何一つ変わらない。

 私の愛したままの神乃木荘龍が、間違いなくそこにいた。



 

 

18<< >>20

18<< k*t >>20