03 失われた約束

 今朝の今朝まで絶え間なく動き気障な台詞を紡いでいた唇は、酸素マスクに覆われて一ミリだって動かない。

「…どうして」
 ひとりで会いにいったりしたの。どうして話してくれなかったの。
 …そうじゃない、どうして私はついていかなかったの。どうして、どうして……


『この事件は俺とアンタの事件だ、チヒロ』
『お爺ちゃんは確かにヤリ手だと思う。だが…立場もあるんだろうぜ、どうにも保身を考えちまって自由に動けねぇ』
『だからな。もっと自由に動くために、事務所を立ち上げるのも悪かねえだろ?』

『センパイ、独立するんですか』
 そう聞いた私に、彼は目を細めた。

『クッ…さっき言っただろう?これは俺とアンタの事件だ。俺一人でやろうなんて思っちゃいない』
『神乃木法律事務所、か…イイ響きじゃねえか』
『え、私の名前は入らないんですか?』

 ただ、冗談めかして聞いただけだった。

『気になるかい?』
『ええ、気になります』
 くすくす笑った私の頬に手を添えて、センパイは目を細めて薄く微笑む。


『簡単なことだ。チヒロも“神乃木”になればいいだけの話…だぜ』

 

 昨日のことのように思い出す。
 当然だ。
 だって、本当につい昨晩交わした会話だったんだから。

 

「…千尋クン…」
「……どうして…どうして、私…気づけなかった……」
「そんなに自分を責めるんぢゃない。神乃木君に怒られるぞ」

 先生の手のひらが、泣き崩れた私の背中をそっと撫でた。
 無機質な電子音が、途切れることなく深夜の病室に響き渡っている。

 噛み締めた唇に感じるのは涙の塩辛さと、鈍い鉄の味。


 約束は、もう果たせない。

 

 

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