05 ペルソナ(仮面)

 気づくと、俺は学食のテラスの片隅でくだらない話をしていた。相手は大学時代の友人だ。

 …いや、それはおかしい。俺は今いくつだ?

 よくよく考えれば、目の前の男にもここ5年は会ってねぇ。
 それでもここは大学の構内で、俺の目の前にはレポート用紙と小難しい学術書。ひと撫でした顎
にも、髭はない。
 ようやく俺は、この懐かしい光景が夢であることを悟った。

 なに、それなら少し昔に戻って楽しめばいい。俺は馬鹿話をしながら、変わらない風景を眺める。

 …眺めて、あのときにはなかったはずのものを見つけてしまった。
 きゅっと結ばれた唇と、意志の強そうな瞳。長い髪を風に遊ばせるその姿を。
 遠くてはっきりとは見えない。でもわかる。あれは、彼女だ。

「何見てんだ、いい女でもいたか」
「ああ…とびきりの女神だ」
 言うなり俺は歩き出す。彼女に会うために。
 机の上のレポート用紙はそのままだ。提出期限は1時間後に迫ってた。だけど、構わない。
 …これは、夢なのだから。

「なあ」
「…はい」

 彼女は顔を上げる。俺はそれを見つめて、息を飲んだ。

 真っ直ぐに伸びる栗色の髪。きれいに切りそろえられた前髪も、俺の知ってるそのまま。
 すらっとした足も、まだ少しだけ発展途上なカラダも、知ってる。

 なのに、顔だけが見えない。
 何度目を凝らしても、顔だけがもやがかかったようにぼやけてしまって見ることができない。

「なんだ、これ…」
 他のものは何でも見える。彼女の顔だけが、見えない。
 目がおかしくなったかと手をやって擦った。

 …否。擦ろうとして、目を覆う冷たく硬い何かにその手は遮られる。

「…なんだ、これ」
 訝しげにもういちどつぶやいたそのとき、耳元に彼女の声が響いた。

 ごめんなさい、と。

 

「…ンパイ…どうしました?センパイ」
 彼女がベッドに沈んだ俺の肩を掴む。ああ、ここは俺のマンションだ。
 いつの間にか俺も彼女も一糸まとわぬ姿で、狭いベッドで睦みあっている。

 なんでもないとくちづけを落とそうとして、目的地を見失う。
 …また、彼女の顔が見えなかった。

 部屋を見回す。インテリアは全部まともに見える。さっきと同じだ。
 悪い予感がして、目の前に手をやる。

 そしてまた、俺の手は冷たく硬い何かをとらえた。

「…ごめんなさい」
 彼女が悲しげに呟く。
 …やっぱり、同じだ。

 この夢は、俺がこの目の上に被さった『何か』に気づいた瞬間、急速に終焉へと向かうらしい。
 そして思い出す。俺はこの夢の中、幾度も彼女との出会いと別れを繰り返してきたことを。

 それならばまた彼女は消え、そして出現し。
 俺がこの『何か』に気づくまで、延々とそれらを繰り返すのだろう。

 それを否定するかのように、彼女は悲しげに首を振った。

「私、もう…ここにいられないんです」
「いるじゃねぇか、今。ここに」

 彼女――チヒロは、ふるふると首を振った。その姿が急に朧になってゆく。
 慌てて抱きしめて、俺はその感触が生きている人間のモノでないことを悟った。

「もう、だめみたいなんです」
「だめって」

 どういうことだ、と問いただしたくて。
 それでも、チヒロは消えていく。俺の腕の中で。

 俺の脳裏に残されたのは、消える瞬間の微笑みながら涙を零す歪んだ顔。
 これが夢だと分かっていてなお、胸が締め付けられる。


 …なあ、教えたじゃねえか。泣くのは全てが終わったときだ、って。
 それともアンタの中じゃ、もう全てが終わっちまったのか?


 気づくと、俺は闇の中にいた。


 そして、もう二度と、彼女の夢を見ることはなかった。

 

 

 

 

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