07 胸が貴方にふれた時
私がこの真っ白な部屋を訪れるのは、半年振りだった。
「…センパイ、お久し振りです」 微笑んで、ベッドに横たわるその顔をのぞきこむ。返事はもちろん、ない。 酸素マスク越しに聞こえてくる僅かな呼吸音と、部屋の隅に置かれた機械が規則正しく奏でる電子音だけが、彼が生きていることを教えてくれる。
枕元にはすこし萎れた花が飾られている。先生が週に1度様子を見に来ると言っていたから、多分そのときのものだろう。 私は花瓶の水を替えて、その横に両手の中に入ってしまうようなちいさな花かごを置く。 花言葉なんて良く知らないから、花屋さんでなるべく華やかで明るくなるように選んでもらった。 ほそく開いた窓から吹き込む風にそよぐチューリップとガーベラが春らしくて、真っ白な部屋がすこし華やぐ。
「綺麗でしょう?」 返事はないとわかっていて、それでも私は話しかける。 そして、鞄の中から今朝の朝刊を取り出して、彼の胸の上に広げた。 「センパイ。ここ、見てください」 マーカーペンでさっと囲んだ生地を指差して。 「…やりましたよ、私」 私はにっこりと笑った。
笑ったはずなのに、ほほをつたうのは冷たい感触。
「あ…れ、私…」 気づいたらもう止まらなかった。彼の胸元の新聞に顔をうずめると、ぽろぽろと涙がこぼれた。 握り締めてしわくちゃになった紙越しに、彼の体温が伝わってくる。 生きている。このひとは、生きている。それが嬉しいのか悲しいのかわからない。 私は動かない彼の体をぎゅっと抱きしめ、わんわんと声を上げて泣いた。
かつて彼は、泣くのはすべてが終わったときだと私に教えてくれた。
本当は何も終わっていない。 美柳ちなみは、確かに「また、いつか」と言った。このままでは終わらないと言った。 あの女はまた私の前に現れて、そしてきっとまた私の大切な何かを奪う。 そして私は、何度でもそれを取り返さなければならないのだ。
それなら今は、泣いてなどいられない。 いられないのに、涙は止まってはくれなかった。
…今までずっと我慢してたんだ。今日くらいイイだろうぜ。
そんなひとことが聞こえた気がして、ふわりと頭の上が暖かくなったような錯覚を覚える。 まるで、頭を撫でられたみたいに。
慌ててセンパイを見る。シーツの中に納まった手に、もちろん動いた形跡なんてない。
だけど。彼の口元は、すこし笑っているように見えた。
男子大学生殺害事件、序審にて逆転無罪 今月9日、勇盟大学敷地内にて同学薬学部4回生呑田菊三さん(22)が殺害された事件で、傷害致死罪に問われていた同学芸術学部3回生成歩堂龍一被告(21)の序審法廷が11日、**地方裁判所で行われた。審判中に弁護側からなされた告発により、同事件は同学文学部2回生美柳ちなみ容疑者(20)の犯行によるものとほぼ断定、警察は美柳容疑者を殺人容疑にて緊急逮捕。成歩堂被告を無罪とした。また、美柳容疑者は昨年8月27日に**地方裁判所で発生した弁護士毒殺未遂事件にも深く関与しているものと見られており、更なる調査が進められている。 (2013年4月12日・##新聞)
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