11 意外な趣味
トノサマン・丙!の放映翌日は、仕事帰りに手土産を持って成歩堂の事務所を訪れる。 それが、最近の習慣になっていた。
「今日は朔日餅が手に入ったぞ」 「わ、すごーい!じゃああたし、お茶淹れてきますね!」 スキップさえしそうな勢いで簡易キッチンへと駆けてゆく真宵くんの後姿を、まるで我が子を見るような気持ちで目を細めて見守る。 「…御剣、ココは喫茶店でもなんでもないぞ、よそでやってくれよ」 「きみは気にせず仕事をしたまえ。明日までに片付けなければならないのだろう」 「そうだよー。はい、みつるぎ検事」 ことりと音を立てて、湯呑みが目の前に置かれる。ふわりと湯気の立つそれを手に取り、一口啜った。 「…うム、旨い」 「わ、よかった!とっときの玉露入れたんですよ」 真宵くんはにっこりと微笑み、自分も湯呑みに口をつける。 「なにひいきしてんだよ、真宵ちゃん」 「なに怒ってんの?なるほどくん」 「……」 成歩堂は無言で真宵くんを睨み付けると、ぱらぱらと判例をめくり始めた。 「大人気ないぞ、成歩堂」 「…わかってるよ」 私が軽くいさめても、尖った唇は元に戻らない。 「なるほどくん、いつもみつるぎ検事が来るとフキゲンになるよね。」 よもぎ餅を一口でほおばった真宵くんがもごもごしながら、ねー、と私に同意を求める。 「ム…まだ、気にしているのか…?その。私が、消えたことを」 「そうじゃないよ」 「では、何なのだ」 「…なんでもない。気にしなくていいよ」 口ではそう言うものの、唇はまだ少し尖ったままだ。 「そのような訳にもいかないだろう」 「いいんですよみつるぎ検事!ほっといて、昨日のトノサマンの話、しましょ?」 「…む…」
立て板に水といった調子で喋りだした真宵くんの勢いに飲まれ、フムフムと相槌を打って話を聞く。 白熱したディスカッションを交わし、気づくともう数十分が経過していた。 「…いや、しかしここまで深く掘り下げてトノサマンを見る人間が私以外に存在するというのは、いつもながら驚きだ」 「あたしも、みつるぎ検事がこんなにトノサマン好きだなんてびっくりでしたよ」 「意外か?」 「うーん。そうだね、みつるぎ検事、テレビはニュースしか見ませんってカオ、してるし」 「…どんなカオだよ」 ずっと黙って机に向かっていた成歩堂が、ぼそりとツッコミを入れる。 「私だってテレビは見るぞ。今期の朝のテレビ小説などは秀逸だな」 「え!あれ、あたしも大好きなんですよー!!」 きゃー、と歓声を上げた真宵くんが、私の手を取って飛び上がる。 その瞬間、ガタン、という大きな音が事務所に響き渡った。 「…ごめん、ちょっと外出てくる」 椅子を倒した張本人は、荒々しい足音を立てながら足早に出口へと向かう。 私は、肩を掴んでそれを止めた。 「いったい何なのだきみは、先刻から変だぞ」 「別に」 「そんなわけはないだろう、明らかにおかしいぞ。理由を言いたまえ」
「…言えるわけ、ないだろ」
目の前の男は俯いて眉を寄せ、まるで捨てられた犬のような情けない表情をしていた。 こんな顔を見るのは、初めてだった。
「…成歩堂」 「ごめん。でも、言えないよ。御剣のせいじゃないから、心配しないで」 「そう、なのか…」
心が、痛む。ズキズキと膿んだように響く。 見慣れた成歩堂の、見慣れない表情。それが私の心を突き刺しているのは、明白だった。 それは、成歩堂が私の親友だから。 親友の辛そうな顔は、見ているこちらも辛い。
…だが、本当に、それだけなのか? 普段なら考えもしないことが、ふと頭を掠めた。
情けない顔。辛そうな表情。 それらは、かつて私が成歩堂に見せてきたもの。 そして、闇は成歩堂によって祓われた。それも1度だけではない。 離れてもなお、彼の存在が私を救ってきた。新しい生き方を見つけることができた。
ならば、今度は私がお返しをする番だ。 彼が抱えている何かはそれほど大きな問題ではないのかもしれない、それでも。 彼がしてきたようにずかずかと心に入り込んで、彼の心に巣食うものを祓ってやりたい。 私に巣食うものは、成歩堂にしか祓えなかった。 そして成歩堂の中に巣食うものがもしあるなら、それを払うのは他の誰でもない、私でありたかった。
そこまで考えて、はたと思い知る。 いかに「大切な親友」であろうと、ここまで独占欲めいた感情を抱くことがあるのだろうか、と。
…なんだ、もしかしたら自分は。そういうことなのか。 今更気づく鈍さに、我ながら頭を抱える。
「…成歩堂」 「なに、御剣」 「…いや、なんでもない」
「じゃ、なんでもない同士でおあいこってことで」
屈託なく笑う成歩堂を前に、不思議なくらい心が満たされる。 ああ。どうやら、私は認めざるを得ないようだ。
この男が、誰よりも大切なのだと。 親友というくくりでは説明できないほどに、想っているのだと。
不思議なくらい穏やかな気持ちで、私も微笑を返した。成歩堂が頷く。 たったそれだけのことなのに、途方もない幸せを感じる。
この気持ちを、愛情以外の何と呼べばいいのだろうか?
「…ね。あたしのこと、忘れてない?」 突然後ろから聞こえてきた声に驚いて振り向くと、私の分まで朔日餅を食べつくした真宵くんが頬を膨らしてぶすくれていた。
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