13 終わりなき一日

 


 世界は、ただただ真っ白だった。


 手にした刃が肉を貫いた感触がこれほどまでに生々しく残っているのに、それがまるで夢か幻とでもいうかのようだ。
 それでもそんな都合のいい景色はまやかしだと、生き返ったときから知っている。
 血が見えずとも、それで自分の罪が軽くなるわけではない。
 倒れ臥している女を見やる。それは、既に俺が手にかけたときの姿ではなかった。

 愛した女のために、彼女の残した大切な存在のために。
 愛した女の母を俺は殺した。
 そのことだけは、この先一生消えない事実だ。

 この人を母と呼ぶことのできる未来も、もしかしたらあったのかもしれない。
 一瞬だけそう思ったが、すぐにその感情を切り捨てる。

 顔に刻まれた傷は、恐らく消えることはない。
 それを見るたび、俺は今日のことを思い出すのだろう。
 死してなお全てを奪おうとする、美柳ちなみの怨念を。
 命を賭しても娘を守ると覚悟を決めた、綾里舞子の強さを。

 そしてチヒロのためと言いながら、結局はこんな形でしかそれを示せなかった俺の矮小さを。

 本当に彼女を想うなら。
 彼女の残した大切なものを守りたいなら。
 もっとほかに手段があったはずだった。

 倒れている少女を、起こさないようにゆっくりと抱き上げる。
 そのぬくもりに安堵し、そして同時に心から悔いた。

 


 雪を捨てに行った側溝で、枯れ枝に埋もれ朽ち果てている小さな蛾の死骸を見つけた。
 この空間に生きているモノなど、何一つない。
 そう思うと、喉の奥から自嘲めいた笑いが漏れる。

 無理やりにでも目的を作らないと生きていけない俺は、
 その目的のために、人すら殺してしまえた俺は、
 きっともう、とうの昔に死んでいるのだから。


 …まだ、夜は終わらない。

 

 

 

 

 

 


まるで死体のように体をすっぽりとシートへ沈め、たったひとつ点いている常夜灯の下で前方のモニタを見つめた。
到着まで、あと10時間。何度見返しても、決して望むスピードでは進まない。

私は常夜灯を消して、どうせ眠れやしないとわかっていながら瞳を閉じる。
あっという間に、暗闇に包み込まれた。


かつて、私は闇の中にいた。
その闇から私を連れ出したのは、他でもない成歩堂だった。


思えばあの事件で父を喪い狩魔に縋った私は、
ひよこが初めて見たものを親と思い込む、そんな刷り込み現象を起こしていたのかも知れない。
そしてそれは、今回も例外ではないのではないかと少しだけ疑っていた。
矢張からの電話を受ける、その瞬間まで。

しかし単なる刷り込みや思い込みでは、とてもじゃないがこのような鉄の塊は飛ばせない。
自覚してなお自分ですら疑っていた想いを、このような形で完璧に思い知るとは露ほども考えていなかった。

どうせ思い知るのなら、もっと違った形が良かった。

「…頼むから」
掠れた声で呟く。
生きていてくれ。ただそれだけを、心の中で何度も希う。
大切な人を失うなんて体験は、もう二度としたくない。


暗闇が急に恐ろしくなり、目を開ける。それでもまだ私は暗闇の中にいた。
常夜灯を消してしまったからだと思い至るまでの一瞬の間、私は私の知る私ではなかった。

もう二度と、あの闇には戻りたくない。
既に私にとって、成歩堂のいない世界は闇の中にいるのと変わらない。
あの笑顔が、私の前から消える。
そう考えるだけで、とても正気ではいられなかった。

「…なるほ、どう…」

がたがたと肩が震えるのを、両手で押さえ込む。
歯の根が合わずに必死で噛み締めた唇からは、血の味がした。


暗闇の中、モニタの灯りを探す。
到着まで、あと9時間35分。


この悪夢が晴れるまで、私は今日という日を終えることができそうになかった。

 

 

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